羽幌炭砿のあゆみシリーズ ~Ⅴ.躍進期~を掲載しました。
2015.9.20.
羽幌炭砿の歴史を紹介するシリーズの6回目です。 今回は昭和31年~36年にかけての「躍進期」をご紹介します。
昭和34(1959)年からは他産業が岩戸景気を謳歌したにもかかわらず、石炭産業は斜陽化が進行しました。しかし羽幌炭砿は順調に出炭量を伸ばし、昭和31年度の出炭量は54万㌧余りとなり、創業時には到底不可能と考えられていた50万㌧超えの金字塔を打ち立てました。
昭和32(1957)年7月には高松宮殿下ご夫妻のご来山という羽幌炭砿の躍進を象徴する大慶事が実現しました。スキー部、野球部、バレーボール部などが全国的に目覚しい活躍を見せはじめ、スポーツ面でも大飛躍を遂げたのはこの頃でした。
一方で、石油需要の拡大と貯炭激増により大手・中小を問わず閉山が相次ぐ中、羽幌炭砿は昭和36年度の出炭量が、ついに長年の夢であった100万㌧超え(101.6万トン)を達成しました。
写真は、当時三菱大夕張炭砿などでしか実施されていなかった「スライシング採炭」中の切羽の様子です。
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