「羽幌炭砿大同窓会」について報告いたします。

2015.10.1.

「羽幌炭砿大同窓会」開催案内用スケッチ.PNG

羽幌炭砿につきましては現在当記念館の地域特集:北海道(羽幌)にて公開中ですが、本年同炭砿の閉山45年を迎えるにあたり、9月27日(日)、28日(月)の両日、北海道苫前郡羽幌町の「はぼろ温泉サンセットプラザ」にて「羽幌炭砿大同窓会」が盛大に開催されました。

この大同窓会はかつて炭砿で働き、閉山で全国へ移り住んでいった炭砿関係者や住民の方々とともに当時の炭砿を振り返るとともに、平成19年に「我が国の近代化を支えた北海道産炭地域の歩みを物語る近代化産業遺産」として経済産業大臣より認定を受けた貴重な炭砿遺産を観光資源として活用し、全国に羽幌町をPRすることを目的としています。

主催:羽幌炭砿大同窓会実行委員会
共催:羽幌町、オロロン農業協同組合、北るもい漁業協同組合、はぼろ温泉サンセットプラザ、沿岸バス(株)
協賛:太陽鉱工(株)、日商プロパン石油(株)

27日には全国から元炭砿関係者や元住民、全国の炭鉱・鉄道愛好家を中心に220名が参加し、前記目的に即した「羽幌炭砿閉山45年記念シンポジウム」が開催されました。

シンポジウムには当記念館の特別協賛企業・太陽鉱工(*)からは髙畑二郎取締役相談役、金野顧問(当記念館編集委員長)ほか1名が参加され、当記念館からは小宮由次編集副委員長、小林正幸編集委員、協力者の金子直三が参加いたしました。

また、町田叡光羽幌炭砿第二代社長の三女・大町晴子氏、金子直吉とともに鈴木商店の二大柱石と仰がれた柳田富士松の孫・栁田祥三大阪大学名誉教授、同じく柳田富士松の親族・泉規子氏、羽幌炭砿のプロパン課・石油課をルーツとする日商プロパン石油の畑正博社長をはじめとする幹部の方々も参加されました。

シンポジウム終了後、引続いて140名が参加し懇親会が開催されました。

(*)太陽鉱工はかつて羽幌炭砿の開発に携わった鈴木商店の後継会社・太陽曹達、太陽産業が前身。

jyunnbirobii.jpg翌28日には地元の沿岸バスによる三山(築別炭砿、羽幌本坑、上羽幌坑)の炭砿遺産を巡るバスツアーが79名の参加をもって実施されました。また、9月19日から27日の午前中まで羽幌町の中央公民館ロビーにて炭砿のスケッチ画や炭砿遺産カレンダー、パネル写真、関係図書等を紹介する協賛展示会が開催されました。

なお、当記念館では開催にあわせて「羽幌炭砿大同窓会実行委員会」と共同で「羽幌炭砿大同窓会記念誌」(悠久の夢をかけた羽幌炭砿)を編集しました。この記念誌はシンポジウムの当日、参加者全員に配布され、好評を博しました。

kinennsi1.jpg【シンポジウム概要】
◇日時:平成27年9月27日(日) 
15:30~ 開場(地元物産展・羽幌炭砿関連商品販)
16:15~17:40 シンポジウム開催
18:00~21:00 懇親会

◇会 場:はぼろ温泉サンセットプラザ「サンセットホール」(北海道苫前郡羽幌町)

sinnpojiumu1.jpg<開会式>
①主催者挨拶 「羽幌炭砿大同窓会実行委員会」代表 室田 憲作
②歓迎の挨拶 羽幌町長 駒井 久晃
③講演者・報告者紹介
小林正幸氏、金子直三氏、駒井久晃氏、平岩博幸氏の4名が紹介されました。
④祝電披露

<コーディネーター挨拶>
シンポジウムの開催にあたり、コーディネーターを務められた元北海道開拓記念館学芸部長・関秀志氏からシンポジウムの趣旨説明と挨拶がありました。

<基調講演>
①「鈴木商店再興の夢をかけた羽幌炭砿」 鈴木商店記念館編集委員(双日総合研究所・主任研究員)小林正幸sinnpojiumu2.jpg
まず、鈴木商店の全体像・略史、その製造事業群と炭鉱事業、同社を支えた主役たちについて説明がありました。

続いて、同社破綻後に金子直吉がお家復活をかけ「羽幌炭砿」の創業に至った創業前史、羽幌炭砿の創業と発展を支えた金子直吉関連の人材、当時羽幌炭砿の街に刻まれていた鈴木商店ゆかりの名称・町名、炭砿の神社に安置されていた金子直吉の胸像を紹介し、同地において鈴木商店の影響がいかに大きいものであったかの説明がなされました。

最後に、鈴木商店ゆかりの各地に数多くの史跡が現存することについて説明があり、羽幌炭砿の遺構の観光資源としての可能性について言及があり、本年5月に東京で開催された「鈴木商店シンポジウム」において羽幌町のみなさんが大活躍されたことも紹介されました。

さらに、小林氏から関コーディネーターの問いかけに答える形で、2017年の神戸開港150年事業の一環として鈴木商店本店跡地にモニュメントを設置するプロジェクトについて「鈴木商店記念館」と神戸市が協議の上、具体的に実現に向けて動きはじめていることを例にあげ、羽幌町の活性化・PRの方法の一つとして同町に金子直吉の胸像(かつて羽幌炭砿の大山祇神社には金子直吉の胸像が安置されていました)を設置してはどうかとの提案がなされました。

②「羽幌炭砿のあゆみ」 炭砿創業時の専務・金子三次郎の孫(鈴木商店記念館協力者)金子直三
羽幌炭砿の創業前からエネルギー革命との闘いの末に閉山に至るまでの30年間の激動の歴史について次の5つの時代に分けて紹介されました。

ⅰ.創業前後の混迷期(昭和14年~19年) ―資金不足、人手不足、資金不足の中、苦闘が続く-
ⅱ.戦後の混乱期(昭和20年~25年) ―終戦直後の幾多の困難を乗り越え、合理化のスタートラインにつく―
ⅲ.合理化推進期(昭和26年~30年) ―深刻な石炭不況の中、築別炭砿を中心に合理化を推進―
ⅳ.躍進期(昭和31年~36年) ―合理化が結実し、昭和36年度の出炭量が悲願の100万㌧超えを達成―
ⅴ.エネルギー革命との闘いと閉山(昭和37年~45年) ―ビルド鉱として生き残りをかけるも、エネルギー革命には抗しきれず―

石炭産業を取り巻く厳しい経営環境の中、羽幌炭砿が不断の合理化推進により価格競争力において他社を圧倒し、ついには「中小炭鉱の雄」と呼ばれる存在にまでなったこと、最後はエネルギー革命の荒波に抗しきれず閉山を余儀なくされましたが、同社の持てる力は遺憾無く最大限に発揮されたであろうことなどが説明されました。

説明の中において、当時の坑内の様子・建物・住宅・人々の日常生活・娯楽・行事・スポーツ活動などの画像も数多く紹介され、会場の参加者は当時の炭砿の隆盛に思いを馳せておられました。

<報告>
①「羽幌炭砿と羽幌町」 羽幌町長 駒井久晃
羽幌炭砿が羽幌町に与えた極めて大きな影響を町財政・人口の面から見るとともに、閉山後の跡地の利用(昭和57年に開村し、平成13年に閉村した「緑の村」)および炭鉱遺産の活用による町の活性化・PR(町の将来計画)について説明がなされ、最後にふるさと納税についてもPRがなされました。

②「炭鉱(ヤマ)にいだかれて―スケッチ画で羽幌炭砿を振り返る―」 羽幌炭砿出身者 平岩博幸
藤井正治氏と川合悌一氏による炭砿のスケッチ画(*)を紹介する中で、炭砿ご出身の方ならではの数々の当時の思い出・貴重なエピソードが披露され、最後に羽幌町に対して末永くご声援を賜るべくお願いがなされました。


(*)羽幌駅、上築別駅付近、築別川の橋梁、曙小・中学校、太陽高等学校、築別炭砿の山元本社、発電所とエンドレス、ホッパーとエンドレス、炭砿アパート、シャンツェ(スキーのジャンプ台)、索道、築別炭砿から修学旅行へ出発、お祭り、太陽小学校、太陽中学校、緑の村、運搬立坑、旭ヶ丘中学校、北辰中学校、スクールバス、上羽幌小・中学校他。

コーディネーター挨拶>
コーディネーターを務められた関秀志氏から、シンポジウムの終わりに当たってのまとめと挨拶の言葉が述べられました。

[懇親会]
〇はじまりの挨拶 「羽幌炭砿大同窓会実行委員会」代表 室田 憲作
〇来賓紹介
髙畑二郎、大町晴子、栁田祥三、泉規子、畑正博他の方々が紹介され、来賓を代表して太陽鉱工の髙畑二郎取締役相談役からご挨拶がありました。
〇乾杯 北海道羽幌町議会議長 森 淳(代理出席:同議会副議長 寺沢 孝毅)
〇終わりの挨拶 元・羽幌炭砿スキー部 岸本 光夫

konnsinnkai1.jpg懇親会はシンポジウムでの質問・意見交換の場を兼ねて盛大に行われました。会場中央には羽幌町の特産品である日本一の水揚げを誇る甘エビと地元産のトウモロコシが大量に盛りつけされ、18のテーブルに分かれて着席した参加者は会が進むにつれて各テーブルの間を往来し、昔話に花を咲かせ、また旧交を温め、情報交換をするなど次第に交流が深まっていきました。

会の中半には閉山当時太陽小学校の教諭であった室田代表から、卒業式を前にして炭砿の街を離れざるをえなかった当時の生徒お一人への卒業証書授与式がサプライズ的に行われました。

会の後半にはこの日のために用意された品々(高級セーター、箱入り甘エビ、炭砿関連の冊子・DVD、地元の和菓子、地元鮨店のお食事券など)が当たる抽選会が行われ、会は一層の盛り上がりをみせました。グループ毎の記念撮影も行われ、最後に元・羽幌炭砿スキー部・岸本 光夫氏のご挨拶により閉会を迎えました。

konnsinnkai3.jpg【三山炭砿巡り ~懐かし炭砿(ヤマ)を訪ねて~ 概要】
◇日時:平成27年9月28日(月)
・8:30~ はぼろ温泉サンセットプラザ 出発
・9:15~11:00 遺構(*)見学

(*)第3橋梁、築別炭砿アパート、辰巳橋、築別炭砿消防団庁舎、築別炭鉱の貯炭場(ホッパー)、太陽小学校体育館、羽幌本坑の貯炭場(ホッパー)、上羽幌坑の索道貯炭場 他

・12:00 はぼろ温泉サンセットプラザ 到着

sannzanntannkloumeguri1.jpgsannzanntannkoumeguri2.jpgsannzanntankoumeguri3.JPG当日はあいにくの雨模様でしたが、2台の大型バスに乗車した参加者達は、沿岸バスのヤマの案内人の方から詳細な説明を受けながら三つの山(築別炭砿、羽幌本坑、上羽幌坑)の遺構を巡り、思い思いに写真撮影をしたり、当時の炭砿の様子について語り合ったりする中で、皆往時の炭砿の様子に思いを馳せていました。そして、記念撮影を行い全てのスケジュールが終了しました。

シンポジウムとそれに続く懇親会、三山の炭砿巡りと2日間にわたる「羽幌炭砿大同窓会」は実行委員会の皆さんの献身的なご活躍と全ての関係者の絶大なる協力を得て大盛況のうちに幕を閉じ、羽幌町在住の方を除く各参加者はそれぞれの思いを胸に羽幌の町を去っていきました。

この2日間羽幌の町には多くの人々が集まり活況を呈し、あたかも今後の町の行く末を暗示しているかのようでした。

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