「神戸製鋼所設立の歴史⑦」を掲載しました。

2015.11.11.

kobeseiko_07_01_reitoki-thumb-autox240-1176[1].jpg神戸製鋼所設立の歴史シリーズ第七弾です。
今回がこのシリーズの最終回となります。

鈴木商店は昭和2(1927)年に破綻を余儀なくされました。これに伴い神戸製鋼所の経営は台湾銀行の管理下に置かれ、鈴木商店出身の経営陣は退陣します。田宮も辞意を決意していましたが、金子直吉の説得により役員として残る道を選びます。そして、周囲の田宮社長待望論を背景に、昭和9(1934)年の株主総会において創業以来の功労者として社長に就任します。田宮の社長退陣後は、それまで田宮を支え続けてきた後継社長・浅田長平の活躍もあり、神戸製鋼所は海外の先進的な技術を導入しつつも独自開発に力を入れ、日本の鉄鋼業、造船、機械産業の発展に貢献し、今に至っています。


写真は社長就任当時の田宮嘉右衛門です。

詳細は下記関連リンクをご覧いただき、また合わせて神戸製鋼所オフィシャルサイト内の「歴史・歩み」もご参照ください。

田宮嘉右衛門と浅田長平については下記をご覧ください。

人物特集>田宮嘉右衛門

人物特集>浅田長平

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