「帝人設立の歴史③」を掲載しました。

2015.12.14.

kyuuyonezawakoutoukougyougakkou.PNG帝人設立の歴史を紹介するシリーズの3回目です。

秦逸三は久村清太(くむらせいた)の指導を仰ぎつつ、勤め先の米沢高等工業学校の実験室でヴィスコース製造の研究に没頭します。秦は研究に夢中になり過ぎて本業の講師としての仕事が疎かになり、上司や同僚の教授たちとは肌が合わず、研究室の薬品の使用を禁止され、自らの給与から研究費を捻出しなければならない状況に陥ります。この窮状に、金子直吉は鈴木商店傘下の東レザーから人絹研究用として年間1,200円を米沢高等工業に寄付し、秦を励まし続けます。

一方で、地元の米沢に金子の人絹生産に対する熱意が伝わると、有志の間に人絹工場誘致の機運が高まり、金子も人絹生産の事業化を決意するのでした。 

写真は旧米沢高等工業学校本館(現・山形大学工学部)です。

詳細は下記関連リンクをご覧下さい。

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