「帝人設立の歴史⑥」を掲載しました。
2016.4.8.
秦逸三の欧米出張中は久村清太が米沢工場の運営を担いましたが、人絹の生産量は伸びず、毎月の赤字は拡大。ついには親会社である鈴木商店に助けを求めます。ところが、第一次堺大戦の長期化で人絹の輸入が急減し品質に関係なく突然出荷量が増加し、価格も暴騰するという追い風が吹き、米沢工場の人絹も外国品並みの価格が付くようになります。
ようやく工場の生産が軌道に乗る兆しが見えたこともあって、東工業から人絹部門である米沢工場を独立させることとなり、大正7(1918)年6月17日に創立総会を開き、帝国人造絹糸(株)(現・帝人)設立の決議を行いました。この大正7年6月17日が帝国人造絹糸(現・帝人)の設立日です。
写真は米沢工場初期の人造絹糸です。
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