お知らせ 「帝人設立の歴史⑦」を掲載しました。 2016.5.12. 帝人設立の歴史を紹介するシリーズの7回目です。今回は当時の帝国人造絹糸・米沢工場の様子をご紹介します。 当時の米沢工場は絹織物業者から白眼視され、「人絹製造に使う薬品で子供が生まれなくなる」といった悪評を立てられたこともありましたが、給与水準は低かったものの、工場での生活は朗らかで上下の隔てはほとんど無く、創立当初から女子従業員の自主性が尊重され、レクリエーション活動も盛んでした。 写真は、当時の慰安会の風景(女工のテニス姿)です。 詳細は下記関連リンクをご覧下さい。 鈴木商店の歴史>人造絹糸の開発、帝人の設立>関連トピックス>帝人設立の歴史⑦ 企業特集>人絹>関連トピックス>帝人設立の歴史⑦ 地域特集>米沢 以前の記事 神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の初回「天下三分の宣言書」をご紹介します。 次の記事 神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第2回「瓦せんべいと共に」をご紹介します。