辰巳屋宗家・松原家の菩提寺を訪ねました。

2015.11.27.

isshinji1.jpgカネ辰鈴木商店のルーツは、辰巳屋松原商店に遡ります。播州姫路出身の松原藤松(後に藤助に改名)が大阪・辰巳屋嘉兵衛(屋号「カネ辰」)より暖簾分けにより文政7(1824)年、大阪大宝寺町に独立開業したことから始まります。

本家辰巳屋の本業であった姫路特産のなめし革細工の煙草入れの販売 から事業を大きく拡大したのは、藤助次男の藤吉(辰巳屋2代目、後の恒七)で砂糖商としても有力な事業家となりました。

恒七の時代には、店舗を大宝寺町から船場の長堀橋北詰に移転。長堀の岸壁に着く荷物船のほとんどが辰巳屋の砂糖船だったといわれる程活況 を呈しました。

辰巳屋全盛時、大阪天王寺の法然上人所縁の名刹「浄土宗・一心寺」は維新後の廃仏毀釈の嵐から寺は荒れ、廃寺寸前にまで陥っていたところを恒七の呼びかけによって辰巳屋を始め大阪の砂糖商が再興に尽力し、今日の隆盛に繋がったといわれます。

当時の一心寺の住職は、恒七の特志に報いるため、本堂近くの一等地を松原家の墓地として提供することを申し入れ、爾来一心寺が松原家の菩提寺となった所以です。本堂の前面には、恒七が寄進した高さ二丈(6m)に余る大石灯籠一対が残されています。台座には藤助、恒七親子の名が刻まれ、松原家と一心寺の深い縁が偲ばれます。

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