羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑪「羽幌炭輸送専用船」をご紹介します。
2018.4.17.
羽幌炭砿にまつわる出来事やエピソードを紹介するシリーズの第11回です。
今回は羽幌炭を満載して留萌港から東京芝浦に向けて出港した「羽幌炭輸送専用船」をご紹介します。
羽幌炭砿は、出炭量の急増とともに昭和20(1945)年代後半から主力市場は東京を中心とする本州方面へと移行していき、当時留萌港から市場への輸送コストの低減が会社経営上の重要課題となっていました。
羽幌炭砿はこの課題を克服すべく、昭和35(1960)年2月に「留萌―東京芝浦」間の羽幌炭の輸送を専業としていた佐藤海運を子会社とし、社名を「京北海運」(社長は羽幌炭砿鉄道社長の町田叡光)に改め、羽幌炭輸送専用船「羽幌丸」(3,901トン)、「天塩丸」(1,301トン)、「留萌丸」(3,907トン)、「雄冬丸」(4,702トン)などを建造するとともに、石炭積込能力の増強をはかるべく羽幌炭砿が中心となり、留萌港北岸の積込み設備を完成させました。
写真は、留萌港に停泊中の「羽幌丸」です。
詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。