日本セルロイド人造絹糸(現・ダイセル)の歴史を紹介するシリーズの2回目です。
同社は兵庫県の揖保川河口の網干町における難工事の末に明治43(1910)年、工場が竣工し操業を開始します。工場の技術的指導にはドイツ、イギリス、スイスから技師6名を招へいしましたが、その技術たるや未熟で不良品山のごとしという状況が続き、じりじりと会社の経営を困難に陥れていきました。
その後、同社は外国人技師は解任し、邦人技師のみで苦心を重ねて技術的問題を解決していくことになります。
写真は、網干工場のシンボル的存在・1号ボイラーの現在の様子です。
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