鈴木商店本店タイピスト室の様子をご紹介します。

2014.5.13.

大正7(1918)年、米騒動から神戸・東川崎町の本店建物を焼失した鈴木商店は、仮社屋の後、大正9(1920)年、旧居留地に近い 海岸通の新社屋に移転しました。

ご紹介します写真は、埼玉県戸田市在住の方からご提供いただきました。母上様が当時、鈴木商店にタイピストとしてお勤めになられていて、写真は海岸通の新社屋のタイピスト室の執務風景とのこと。女子商業(よねさんが創設に尽力された神戸女子商業)を出て、東川崎町の旧社屋の時代に入社されたとのこと。

typist-3.jpg

母上様は、「米部」に所属していて、米騒動当時、鈴木商店がサイゴン米、ラングーン米の取扱いをして、政府の外米輸入政策に協力していたことを記憶されておられた由。また、英文タイプでは神戸高商、東京高商、関西学院等の出身社員からのコレポン(商業通信文)原稿をタイプされていたとのこと。

関連リンク

TOP