「クロード式窒素工業の歴史⑦」を掲載しました。

2017.10.23.

anmoniaahyunotisekihi.PNGクロード式窒素工業の歴史を紹介するシリーズの7回目です。今回が、このシリーズの最終回となります。

クロード法を引継いだ三井鉱山は、さらなるアンモニア合成による化学肥料事業の拡大をはかるべく三井の本拠地・福岡県大牟田での三池炭を利用したアンモニア・硫安の生産を決定します。

さらに三井鉱山は昭和8(1933)年4月、東洋高圧工業所を分離し、三池炭を利用する本格的な硫安製造会社である東洋高圧工業を設立します。


昭和30(1955)年頃から始まったアンモニア・メタノールに関する技術革新と装置の大型化の波の中で、東洋高圧工業は天然ガスを原料とする最新鋭工場を次々に建設。それに伴い、石炭を原料とするクロード法の彦島工場は昭和35(1960)年、ついに栄光ある歴史に幕を下ろしました。

しかし、大正末期に鈴木商店が導入したクロード式法によるアンモニア合成技術は、彦島工場において高圧化学技術、化学プラント製作技術として確立され、わが国の近代化学工業・重化学工業の発展に大きく貢献するとともに近代的装置の国産化にも大いに寄与しました。20世紀後半に急成長した石油化学工業は、1,000気圧という超高圧を利用するクロード法によるアンモニア合成技術がベースにあったからこそ急速に発展することができたことを私たちは忘れてはならないでしょう。

写真は、かつての彦島工場(現・下関三井化学)の敷地内にある「我国安母尼亜(アンモニア)合成工業発祥之地」と記された石碑とアンモニア分離機(右奥)です。   

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