鈴木商店の情報収集シリーズ ①金子直吉から後藤新平宛て書簡について

2016.12.17.

金子・後藤.jpg金子直吉と後藤新平との出会いは、後藤が台湾総督府民政長官(明治29(1896)年~明治33(1900)年)に赴任して以来で、後藤回漕店・後藤勝造の引き合わせによると言われます。

台湾統治の財政の要として後藤は、台湾産樟脳の専売制度の実施を目指しましたが、製造業者の猛反対に遭って苦戦。金子直吉は後藤の政策を強く支持し、官営実施に積極的に協力した結果、台湾樟脳および樟脳油の専売規則が制定されました。これを機に金子と後藤の信頼関係が深まり、鈴木商店は台湾産樟脳油の商権を得て、その発展の足掛かりに繋がりました。

金子と後藤の信頼関係は、鈴木の発展に大きく寄与することになりましたが、金子から後藤へは頻繁に書簡が送られ鈴木破綻直前までの間に出された90通を超える巻紙墨筆による書簡が「後藤新平記念館」(岩手県奥州市)に残されています。

書簡の内容は、ビジネスの相談や成約お礼から、中国大陸の政局報告など広範囲に亘って興味深い内容です。当時の日中間の激動する政情などを知る書簡の一部(概要)を紹介します。

〇再生樟脳の請負契約のお礼 (明治37年4月2日)

〇関門調査による彦島活用に関する見解伺い(明治42年4月22日)

〇伊藤博文薨去の挨拶(明治42年10月28日)

〇辛亥革命の第二革命失敗後の感想(大正2年8月18日)

〇袁世凱の密使来邸、孫文の動向、油鉱についての報告 (大正2年8月10日)

〇露国より精製樟脳の注文あり、いかなる用途に用いるものか、消毒用か、火薬原料か、ロシアの派遣軍人に面談する機会あれば内報して欲しい(大正3年10月13日)

〇袁世凱は太后(西太后)の崩御を惜しめり (大正3年4月10日)

〇大連支店長・平高寅太郎を張作霖に紹介する後藤書簡を拝受したこと(大正12年5月25日)

これら書簡から鈴木商店海外支店網からの情報収集力がいかに迅速で正確だったか、また金子と後藤の親密さが互いの信頼関係に基づいていることが読み取れます。

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