鈴木商店の情報収集シリーズ ③三井物産も認めた鈴木の情報収集の異常な速さ

2016.12.26.

3000009248三井物産支店長会議議事録(大正10年)表紙.jpg金子直吉の有名な「天下三分の宣誓書」に見られるように、鈴木商店が常に目標とし、ライバル視して来たのが三井物産。大正6(1917)年、鈴木商店は遂に売上高で三井物産を大きく上回り日本一の大商社に躍り出ました。然しながら売上高以外のあらゆる面で先行する三井には未だ及ばず、総合商社の源流と評されるに相応しい実像が出来上がるのは暫く後のことでした。

金子直吉というカリスマ指導者の下で一丸となって突進する鈴木商店に対し、経営方針、経営組織、情報等を社員が共有する体制が出来上がりつつある三井物産では、定例的に支店長会議が開かれ、問題点を討議するという今日では日常的に実施されている光景が大正初期に見られました。

三井物産支店長会議は、海外支店を含む各支店長(出張員も含む)を東京に召集して10日以上にわたって開催されました。会議には本店本部の重役、担当者も出席し、主要商品、業務遂行方法、管理運営等に関して担当部課、関連支店からの報告と出席者による質疑応答がなされ、議事録として詳細が記録されています。議事録は200数十ページから700ページを超えるボリュームで構成されています。同議事録は、三井物産の経営方針、各商品、各支店の現状、課題、組織運営の問題点や改善策を具体的に知ることができる貴重な資料でもあります。

同支店長会議では、各業界の動向のほか同業他社の動きについても活発な意見が交わされていました。中でも最大のライバルに急成長した鈴木商店に対しては、脅威を覚え想像以上に意識していたことが議事録から読み取れます。大正10(1921)年の第8回支店長会議議事録では、鈴木商店の情報の速さに関連し、"鈴木商店のインフォメーション迅速の事"の議題で討議されています。

明治35(1902)年の三井物産合名会社時代から昭和6(1931)年の旧三井物産株式会社時代までの30年間に開かれた支店長会議のうち、17回分の議事録が三井文庫に残されています。

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