西川文蔵追悼集「脩竹余韻」をご紹介します。
2017.4.24.
鈴木商店の大番頭・金子直吉が縦横に活躍し、鈴木発展の牽引車となって「まっしぐら」に進めたのは、鈴木の柱石と評される名支配人・ 西川文蔵の実務面での支えがあったからに他なりません。
大正7(1918)年の米騒動に端を発した鈴木商店焼打ちに際しては、支配人として西川は、鈴木の潔白の弁明に追われ、マスコミの鈴木攻撃に対する憤懣を吐露することもたび重なり、心労から大正9(1920)年、47歳の若さで急逝しました。
西川逝去の翌年、大正10(1921)年、鈴木商店創業期を支えた一人で、「居留地外国商館」出身であり、鈴木商店支配人、関係会社の役員を歴任した森衆郎により追悼録「脩竹余韻」が出版されました。追悼録のタイトルは、西川の竹を割ったような性格そのままに自身も竹を愛し、「脩竹(しゅうちく)」と号したことに因んで付けられました。
同追悼録には、鈴木岩治郎(二代目)、鈴木岩蔵、金子直吉、森衆郎の弔辞に加えて、故人を偲んで金子直吉、柳田富士松、高畑誠一、永井幸太郎など70名を超える鈴木商店幹部社員の西川との想い出が載せられています。
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