「播磨造船所の歴史②」を掲載しました。

2019.11.14.

baisyuutoujinoharimazousennjyo.PNG「播磨造船所の歴史」を紹介するシリーズの2回目です。

大正3(1914)年7月、第一次世界大戦が勃発すると世界的に運賃、傭船料、船価が高騰し、わが国の海運業界は未曾有の好況時代に突入しましたが、「播磨造船株式会社」の造船所は規模が小さく、また相生の事業家達はこうした情勢に対する積極的計画を持たなかったためこの空前の造船ブームという好機を生かすことができず、造船所の経営はますます困難となり、事業の前途は絶望的な状況にありました。

大正4(1915)年9月、相生町長の唐端清太郎(からはたせいたろう)と有志は地元造船所の現状打破のため鈴木商店を訪れ、金子直吉に播磨造船株式会社の買収と工場の拡張を申し入れました。

上の写真は、大正3(1914)年頃の造船所(播磨造船株式会社)です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>播磨造船所の歴史②

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