「播磨造船所の歴史⑧」を掲載しました。
2020.5.10.
昭和31(1956)年に入ると世界的な石油需要の増加、石油貿易量の増加に伴いタンカー(油槽船)の建造ブームが到来します。
当時、すでに優秀なタンカーメーカーとしての地位を確立していた播磨造船所は、小説「海賊とよばれた男」(百田尚樹著)で一層有名になった出光興産発注の「日章丸」[2世](11,866総トン)や飯野海運発注の「剛邦丸」(28,429総トン)などスーパータンカーの建造でも先陣を切りました。
その後、いわゆる「スエズ・ブーム」が過ぎ去ると世界的に過剰船腹状態に陥り、それまでわが国のリーディング・インダストリーとして躍進を続けていた造船業界は、昭和33(1958)年頃から一転して長期不況に突入しました。
造船比率が90%以上という播磨造船所にとってこの不況は特に影響が大きく、陸上部門の比率が80%を占めていた石川島重工業と交渉を重ねた結果、両社のニーズが合致し昭和35(1960)年12月1日、播磨造船所は同社と合併し「石川島播磨重工業」(現・IHI)が発足しました。この合併は当時としては戦後最大の企業合併であり、「陸(に強い石川島)と海(に強い播磨)の結婚」として世間を驚かせました。
上の写真は、昭和33(1958)年11月27日に相生総合事務所前に6千余名の従業員が参集し、盛大に挙行された播磨造船所創業50周年記念式典の様子です。
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