鈴木商店こぼれ話シリーズ㉔「鳥羽・ミキモト真珠島は、かつて鳥羽造船所が一時所有していた」をご紹介します。
2018.2.15.
ミキモト真珠島は、鳥羽湾に浮かぶ小島で元々は「相島(おじま)」と呼ばれていた。明治26(1893)年、御木本幸吉は相島にて世界で初めて真珠の養殖に成功、爾来この島で真珠の養殖事業を始めた。
大正8(1919)年、鳥羽町は相島の海面埋め立ておよび使用権を鈴木商店系の帝国汽船(大正7(1918)年)に鳥羽造船所は播磨造船所と共に帝国汽船に吸収されており、正式には帝国汽船造船部鳥羽造船工場)に売却。
帝国汽船による「相島」の所有は、わずか7年間ほどであったが、鈴木商店の造船事業の再編の影響を受け、造船所の拡張、相島の開発は実現しないまま計画が断念された。
しかし、その後昭和2(1927)年に鳥羽町は帝国汽船より相島を買い戻した。昭和4(1929)年、鳥羽町は再度、相島を御木本幸吉に売却、御木本による本格的な養殖事業が始まった。昭和26(1951)年、レジャー施設として「御木本真珠ケ島」が開島、昭和46(1971)年、全島を「株式会社御木本真珠島」が経営するところとなり、島名を「ミキモト真珠島」に変更し、現在に至っている。
相島(ミキモト真珠島)の変遷をその沿革から見て見る。(Wikipedia)
〇明治26(1893)年 - 当時、相島 (おじま) と呼ばれていた同島で、御木本幸吉が真珠養殖に成功。 〇大正8(1919)年 -鳥羽町(当時)が相島地先の海面埋立権と使用権を帝国汽船に売却。 〇昭和2(1927)年 - 鳥羽町が帝国汽船から相島を買い戻す。 〇昭和4(1929)年4月 - 鳥羽町が御木本幸吉に相島を売却。売却益は鳥羽小学校の建築費に充当された。 〇昭和26(1951)年3月12日 -資本金500万円をもって有限会社御木本真珠ヶ島が設立され、レジャー施設として御木本真珠ヶ島が開島。 〇昭和28(1953)年 - 御木本幸吉像を建立。 〇昭和31(1956)年 - 島の南側の海面を埋め立てる。 〇昭和33(1958)年 - 御木本幸吉翁記念館を開設。 〇昭和37(1962)年 - ミキモトパールミュージアムを開設。 〇昭和45(1970)年7月11日 - パールブリッジ完成。 〇昭和46(1971)年 - 商号を有限会社御木本真珠島に改める。これにより島名もミキモト真珠島に変更(真珠ヶ島の「ヶ」を外す)
また、鳥羽市観光基本計画(平成19(2007)年)の別冊資料には、明治・大正期の鳥羽造船所関係の記録が記されている。(詳細は下記の関連リンク参照;7/43ページ他)