「日本油脂(現・日油)の歴史②」を掲載しました。
2018.8.5.
「日本油脂(現・日油)の歴史」を紹介するシリーズの2回目です。
鈴木商店の金子直吉は、製造した精製魚油をドイツのイリス商会以外に販売すると同商会が「目を丸くして怒る」ことから、「わが国では敬遠されている臭い魚油を外国では一体何に使用するのだろうか? 魚油に何らかの加工を施した上で、高く売って儲けているのではないだろうか?」と常々不審に思っていました。
そこで金子は明治45(1912)年、東京帝国大学工学部応用化学科出身で油脂加工の研究を志していた新入社員の久保田四郎に油脂加工の研究に従事させました。その後、金子は久保田の報告によりヨーロッパではすでに油脂硬化の工業化が始まっていたことを知ります。
この報告を受けた金子は、直ちに久保田に硬化油の研究を命じます。久保田は、鈴木商店の魚油倉庫(神戸市・苅藻島)の片隅に設けられたわずか2~3坪ほどの小さな研究室で1年余り研究を続けましたが、これがやがて硬化油工業へと進展していく最初の核となったのです。
画像は、鈴木商店魚油工場の「人工帖」です。
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