「日本油脂(現・日油)の歴史⑥」を掲載しました。

2018.9.23.

「日本油脂(現・日油)の歴史」を紹介するシリーズの6回目です。

rekoodosekken.PNGわが国の硬化油工業は第一次世界大戦という時局に恵まれて急激な進展をみましたが、大正7(1918)年に大戦の終結を迎えると同時にヨーロッパへの輸出が途絶し、硬化油業者はその販路を国内に求める必要に迫られました。

しかし、わが国の硬化油最大の需要者と期待された石鹸業者に硬化油を売り込むことは諸般の理由により、なかなか困難な状況にありました。

一方、鈴木商店は大戦終結に伴う反動不況により大きな打撃を受け、業績は悪化の一途をたどっていました。この状況が同社の油脂部門へ波及することを憂慮した金子直吉の右腕ともいうべき立場の長崎英造が金子にはかった結果、鈴木商店は王子工場を分離独立させることを決定します。

大正10(1921)年4月7日、鈴木商店は王子工場を独立させた上で住田流芳舎(東京市本郷区)を買収し「スタンダード油脂株式会社」を設立し、当時輸入品で占められていた洗濯石鹸を硬化油を原料にして製造することを目指しました。

写真はレコード石鹸の宣伝風景で、(のぼり)に「製造元 スタンダード油脂株式會社」の文字が確認できます。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>油脂業界への進出~豊年製油・合同油脂の設立>日本油脂(現・日油)の歴史⑥

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