鈴木商店こぼれ話シリーズ㊷「鈴木商店の幻の鉄道計画」をご紹介します。
2019.9.6.
鈴木商店の鉄道事業のうち、兵庫県内に計画されたが、実現しなかった幻の鉄道計画をご紹介します。
(1)但馬軽便鉄道(兵庫県豊岡市) ~鈴木商店初のインフラ計画~
鈴木商店は、鉱石運搬用の鉱山鉄道として大正5(1916)年、但馬軽便鉄道の敷設免許交付を受けました。兵庫県江原(現・豊岡市日高町江原)~三方村(現・同市日高町庄境)間の鉱山鉄道として計画したもの。多角化を進め、絶頂期に向かう鈴木商店が但馬地区にて開発を進める鉱山のための鉄道計画は、鈴木商店として初の本格的なインフラ計画となるものでした。
しかし開発を進める鉱山が落盤事故から閉山となったこと等の事情から工事施工認可されるも大正8(1919)年、建設を断念。折しも隣接する地区で軽便鉄道の運行を始めた出石軽便鉄道の株主でもある藤本日高町長の思惑もあり、但馬軽便鉄道計画は、鈴木商店から藤本氏の事業として継承されることになります。
しかし、藤本氏自身が政治失脚したことから但馬鉄道計画は、頓挫してしまい幻の鉄道に帰してしまいました。
(2)神戸地下鉄道 ~神戸市内地下鉄道計画~
神戸海岸部から中央部を結び、二線の地下鉄道を通す。市内に15~16か所の停留所を予定。大正15(1926)年、事業費8,000万円の一大計画。
設立発起人には、瀧川儀作、水野正巳、早川徳次(地下鉄の父)、金子直吉、播磨喜三良など地元神戸の有力実業家等13名が名を連ね、昭和3年3月31日の市議会に上程された。(写真は大正15年の"地方鉄道敷設免許申請書"の一部)
然しながら、神戸市の地下線計画と重複することから同計画は否決され実現されなかったが、もしこの地下鉄が実現していれば、現在の神戸の交通地図も一変していたかも知れない。"まぼろしの地下鉄"であった。
(3)阪神海岸鉄道 ~神戸・大阪間鉄道計画~
大正12(1923)年、事業費2,500万円による鉄道計画。「神戸市葺合浜辺通を起点とし、海岸線を経て、大阪市此花区桜島に至る」間に汽車鉄道を敷設運転しようという計画。総延長16哩(25.7km)。
設立発起人には、松方幸次郎、稲畑勝太郎(稲畑産業創業者)、鹿島房次郎(第4代神戸市長)、瀧川儀作、鈴木岩治郎、吉本亀三郎(鈴木商店工務部長)、喜多又蔵(日本綿花社長)、湯川忠三郎、西正次郎が名を連ねたが、鈴木商店破綻により計画は頓挫した。
(4)明三軽便鉄道(明石鉄道) ~明石周辺に乱立した鉄道計画の一つ~
明治44年に計画された明石~三木間鉄道計画(約20km) 。(進達御願 明治40年2月)
大正元年9月12日、免許状交付、翌大正2年9月11日までに軽便鉄道法による認可申請条件とされたが、結局申請が出されず、計画中止。
鈴木商店が同計画にどのように係わったか不明。最近、鈴木家の倉庫よりこの計画に関する「進達お願い(上申書)」下書きが見つかっており、何らかの関与があったものと思われる。同路線敷設計画は、その後戦前にも計画されたが、戦局悪化により中止された。 (図面は播磨線路図;明石鉄道線)
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(5)相生臨港鉄道(株) ~播磨造船所関係者による臨港鉄道計画~
兵庫県赤穂郡那波村・山陽本線那波停車場~相生町間(1.6km)「相生臨港鉄道敷設計画」。昭和2(1927)年6月24日、発起人三上英果(播磨造船所)、大本百松(大本組創業者)ほか8名により免許申請するも却下され実現しなかった。