鈴木商店こぼれ話シリーズ㊴「新元号"令和"を祝う多くの人々が訪れる「皇居二重橋」にまつわる話」をご紹介します。
2019.5.1.
江戸時代後期・文化14(1817)年、光格天皇以来202年振りの天皇の生前退位と新天皇の即位を祝う祝賀ムードが高まる中、皇居二重橋周辺には平成最後の日から新元号「令和」を迎える多くの人々が連日訪れています。
「二重橋」とは、皇居正門から長和殿に向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋の通称で、正式名称は、「正門鉄橋」。手前の「正門石橋」と鉄で造られた奥の「正門鉄橋」の二つの橋がありますが、今日では、二つの橋の総称として"二重橋"と呼ばれています。(写真は、手前に正門石橋。この石橋の奥にある"正門鉄橋"が元々の「二重橋」である。)
元々、江戸城西の丸大手門には、西門大手橋と下乗橋(別名:月見橋)の二つの木製の橋が架けられていました。このうち、下乗橋は、濠が深かったため、途中に橋げたを渡してその上に橋を架ける上下二段に架けられた二重構造であったことから「二重橋」と呼ばれるようになりました。
この二つの橋は、明治17(1884)年~22(1889)年にかけて架け替えられました。西門大手橋は、石橋(「正門石橋」)に、下乗橋は、鉄橋(「正門鉄橋」)に架け替えられました。(現在の鉄橋は、昭和39(1964)年に再度架け替えられたものです。)
初代の「正門鉄橋(通称"二重橋")」は、ドイツ系機械販売、輸出入貿易商社の株式会社イリス(本社:東京品川区)の前身の居留地商館「イリス商会」が明治21(1888)年3月、設計・施工で納めたものです。(木製の"下乗橋"を鉄橋(初代)に改修) (「皇居御造営誌 巻58 鉄橋架設事業」所収二重橋構造明細翻訳(宮内庁書稜部)明治19年10月20日)
イリス商会は、今から160年前の安政6(1859)年、長崎・出島で創業した"クニフラー商会"を前身とするドイツ系商館で、開港後開かれた全ての居留地(函館、神戸、大阪、築地、新潟)に支店を設け、爾来、鉄道敷設、水道整備、鉄材、セメント、火薬の輸入等日本の近代化とものづくりに貢献した企業です。
神戸居留地商館との洋糖引取商(輸入商)として創業した鈴木商店は、主要取引先の一つであったイリス商会とは、密接な関係を保ち、居留地返還後に採用した同商会出身の商館番頭であった芳川洵之助は、鈴木商店ロンドン支店・初代支店長に起用され、二代目支店長・高畑誠一の赴任までの基盤作りを担いました。