「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史①」を掲載しました。
2020.6.23.
本日から鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を9回シリーズで紹介してまいります。
シリーズの初回は、三重県鳥羽での造船所発祥の経緯と、国内の経済情勢に翻弄され、不振が続いて経営主体が次々に変遷していった造船所の揺籃期についてご紹介します。
明治11(1878)年、旧鳥羽藩士の稲垣幸作らが廃藩置県により困窮している士族に就業の場を与えようと、鳥羽城二の丸、三の丸址に洋式船を建造する「鳥羽造船所」を開業しました。
その後、経営難から造船所の経営主体が変遷する中において明治29(1896)年9月、造船所への援助の依頼を受けた安田財閥の祖・安田善次郎は苦境に陥っていた造船所を買収して「鳥羽鉄工合資会社」(後に「合資会社鳥羽造船所」に改称)を設立し、日清戦争終結(明治28年)後にわが国経済が大きな躍進期を迎えたことを背景に船渠の拡張、海面の埋め立て、自家発電設備の新設などを実施して積極経営を展開しました。
しかし、日露戦争の終結(明治38年)とともに造船ブームは過ぎ去り、過剰設備を抱えた造船業界はたちまち深刻な不況に見舞われ、さすがの安田も明治40年代中頃には鳥羽での造船事業を諦めざるを得ませんでした。
上の写真は、鳥羽鉄工合資会社が経営していた明治35(1902)頃の造船所です。
詳細については次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史①