「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史②」を掲載しました。
2020.7.2.
鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を紹介する2回目です。
日露戦争終結後に到来した深刻な不況により鳥羽造船所は安田財閥からも見放され大正2(1913)年8月、三重紡績系列の四日市鉄工所に譲渡されました。
しかし、同社はもとより造船所の経営には不慣れなことから、結局廃業寸前の状況に陥り大正5(1916)年12月、当時旭日の勢いで急成長を続けていた鈴木商店が地元・鳥羽町の懇請に応じ、造船所の全事業を継承して「株式会社鳥羽造船所」を設立し、経営に乗り出しました。
かねてより第一次世界大戦勃発による世界的な船腹不足と船値高騰を予想し、造船・海運事業の必要性を痛感していた金子直吉率いる鈴木商店にとっては、同年4月に実施した播磨造船株式会社(兵庫県相生)の全事業承継による「株式会社播磨造船所」の設立に続く既存造船所の買収でした。
そして、鳥羽造船所は金子の信任が厚く、播磨造船所の専務取締役を務めていた辻湊が兼務という形で取締役(工場主)に就任し、同社の経営の指揮を執りました。
電機事業の将来性に大きな夢を抱いていた辻は、造船部門については中・小型船の建造を中心に運営する一方で、船舶用電気機器および小形電気機器の専門メーカーとなることを思い描き大正6(1917)年5月1日、造船所の一隅にわずか100坪の「電機試作工場」を設けて「電気係」を組織しました。
※この電機試作工場の発足日(大正6年5月1日)が現在のシンフォニアテクノロジーの創業日とされています。
上の写真は、辻湊(左)と金子直吉です。
詳細については次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史②