「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史④」を掲載しました。

2020.8.18.

鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を紹介する4回目です。

pottomoota.jpg大正9(1920)年1月、帝国汽船鳥羽造船工場の電機部門である「鳥羽電機製作所」は、鈴木商店系列の(あずま)工業からが独立した帝国人造絹糸(現・帝人)からの依頼により「ポットモータ」の試作を開始しました。

当初、帝国人造絹糸は繊維を高速で巻き取る人造絹糸製造の心臓部とも言うべきポットモータの製作を神戸製鋼所を始めとする大手メーカーに依頼しましたが、各社とも希望に近い回転数を実現することができず、金子直吉は(つじ)(みなと)に相談した結果、鳥羽電機製作所へポットモータの試作を依頼することになりました。

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小田嶋(おだじま)(しゅう)(ぞう)が欧米視察(大正9年1月~同11年2月)で不在の間、電機部門の責任者である高田通理技師は日夜困苦忍耐の上部下を統率・奮闘し、このポットモータの試作という難事業の基礎を築き上げました。小田嶋が帰国すると、なお一層試作品の改良に腐心した結果大正11(1922)年8月、ポットモータ70台が帝国人造絹糸に納入され、これが日本で最初の本格的なポットモータの製造となりました。

このポットモータは鳥羽電機製作所における最大のヒット商品となり、帝国汽船鳥羽造船工場の電機部門を一気に飛躍させる原動力となりました。その結果、同電機部門は創業以来累積していた赤字をわずか1年にして挽回して最初の利益を生み出し、以後黒字を計上できるようになりました。

上の写真は、大正13(1924)年頃のポットモータです。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史④

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