「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史⑦」を掲載しました。
2020.10.20.
鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を紹介する7回目です。
昭和12(1937)年7月、日中戦争の勃発を機にわが国は戦時経済体制に突入し同年、神戸製鋼所電機部電機製作工場は「神戸製鋼所鳥羽工場」に改称され、急速に軍需工場化が進行して行きました。
取り分け、昭和16(1941)年12月の太平洋戦争突入以降は、民間企業に対しても航空機、兵器、船舶をはじめとする軍需品の増産が至上命令となり、鳥羽工場に対しては海軍からは航空機用電機品の緊急増産が、陸軍からは戦車用無線電機品の大量生産が命令されるなど、もはや電機産業としてのあるべき姿など望むべくもない状況となりました。
上の写真は、軍関係者が工場を訪れた時のものです。
※前列左から3人目が社長の田宮嘉右衛門、2人目が小田嶋修三
昭和20(1945)年8月15日に終戦を迎えると、従業員たちは逸早く平和産業の名のもとに民需品転換への計画に着手し、同年10月1日には体制を整えて生産活動を再開しました。11月には鳥羽工場が業界のトップを切って進駐軍より民需転換の許可を受けると山田、松阪、東京の各工場も相次いで民需転換の許可を受け、生産のスタートを切りました。
鳥羽工場にでは電気冷蔵庫、扇風機、電熱器、電気掃除機、電球をはじめとする家庭用電気機器の製作を開始し、この方面においてパイオニアの役割を果たしました。
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