「鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史⑧」を掲載しました。

2020.10.29.

鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史を紹介する8回目です。

3syabunkatuwohapyousurusinbunkoukoku.jpg終戦後の数年はGHQ(連合国総司令部)の非軍事化という旧軍需企業への厳しい姿勢により、神戸製鋼所の経営陣にとって試練の時期となりました。

昭和22(1947)年にはGHQの占領政策の一環として、戦争・軍需に協力した財界人への公職追放令が下り、神戸製鋼所においては田宮(たみや)()右衛()(もん)浅田長平小田嶋(おだじま)(しゅう)(ぞう)ら役員4名が財界追放の処分を受けました。

さらに、GHQは神戸製鋼所に対して、徹底的に企業分割を実施し旧会社と支配関係のない数社の小資本規模の会社にすることを求めて来ました。

神戸製鋼所はその指示に従い、紆余曲折を経て昭和23(1948)年11月、神戸製鋼所を残し新たに金属および電機の2つの第2会社を設立する3分割案を決定しました。

その後、法定準備が進んでいた過度経済力集中排除法の運用が緩和され3分割案はその必要性と拘束力を失いましたが、神戸製鋼所は同法の精神を汲み取り、当初の計画通り自主的に会社を製鋼(神戸製鋼所)、金属(神鋼金属工業)、電機(神鋼電機)の3部門に分割することを正式に決定しました。これにより昭和24(1949)年8月18日、「神鋼電機株式会社」(現・シンフォニアテクノロジー)が発足しました。

戦後のわが国の経済情勢は一向に好転する気配がなく、神鋼電機は打ち続く不況に耐えられず一気に資金難に陥り、銀行からの借入金は増加する一方で、従業員の給料も遅配が常態化するなど前途は暗澹たるものでした。

上の画像は、3社分割を発表する昭和24年の新聞広告です。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>鳥羽造船所電機工場(現・シンフォニアテクノロジー)の歴史⑧

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