鈴木商店こぼれ話シリーズ㊹「金子直吉のこだわり」をご紹介します。
2021.1.24.
金子直吉の容貌、服装についてはいろいろ書き残されているが、どれもあまり芳しい表現が見当たらない。
実業家としての金子については、"財界のナポレオン"と最大の賛辞を呈する福沢桃介も容貌については"口大きく鼻低く、眼は小さく、近眼の上、色黒で......人並外れた醜男"と散々に評している。その上、"服装にも無関心で破れ帽子に詰襟を着ていたため、大臣官邸の門衛に阻止されたという逸話もある。"と辛らつである。(「財界人物我観」)
また、小説「鼠」で鈴木商店焼打ち事件を取り上げた城山三郎も「金子直吉像」については、"肩幅の広い羅漢像のような体躯。大きな耳と、前頭の高いビリケン頭。鉄縁の眼鏡。乱視で近視、そして斜視。・・・
夏冬通して、いつも同じ鼠黒の服。綻びても気にしない。ズボンはだぶだぶの袋のようで、折目などついていたことがない。しかも、ポケットはいつもふくれ上がっていた。冬には、そのズボンの裏に真綿をとりつけるので、いっそう不恰好になる。貧血気味の彼は、何よりも健康、そのための保温だけを考えていた。夏も、腹から懐炉を離さない。
晩年には"頭寒"のためとあって、頭頂に氷嚢をのせ、くしゃくしゃの中折帽をいつもかぶって、落ちないようにした。そして、靴は、踵の低いもの。風采に関する限り、よいところなしである。"と散々である。
然し、実態はどうであろうか?白石友治著「金子直吉伝」には金子の"嗜好と食物と服装"についての記述がある。
「翁は服装に構わないことも有名であるが、実は非常に贅沢屋でいつも純ラクダの最上の洋服を着ていた。忙しいのでほころびても平気で裏を見せていたし、ズボンはダブダブしてメリケン袋のようになって折り目もなにもなく、ポケットには何やら詰め込んでブクブクさせてはいたが布地はあれくらい立派な物を着ている人は贅沢な実業家にも見られないほどで、洋服を作る時は必ず三着、厚地と中と薄手と同じ柄(柄と言っても大分地味な黒)のものを一緒に作るのでいつも同じ服を来ているように見えたが、替わる替わる取り替えていた。これは衛生上の贅沢だということだ。」
服装については、福沢も「服は季節に応じて生地を同色同柄で取り替えていた。金子は大の寒がり屋だ。平素着ているラクダの背広には裏に真綿が入れてあり、しみったれには似合わず一着二百円くらい奮発した高価なものだ。粗服を着ているなどと軽蔑するのは間違っている。」(「財界人物我観」)と評している。
神戸元町に創業150年の歴史を誇る近代洋服のパイオニア「柴田音吉洋服店」がある。同店は、明治元年創業で、同年には初代兵庫県知事に就任した伊藤博文の洋服を仕立てたことで知られ、常に各界のトップリーダーに愛されてきたと伝えられている。
この藤田音吉洋服店を贔屓にしていた金子直吉の名は、明治財界の風雲児・藤田伝次郎(藤田組(後の同和鉱業)を中核とする財閥)を始め、大倉喜八郎、松方幸次郎、麻生太喜蔵、塩野孝太郎(塩野義製薬)、湯木貞一(吉兆)等々の名士と並んで同店の顧客名簿に残されていると云う。
また、仕立て生地について城山三郎、福沢桃介が紹介している"ラクダの生地"とは、チリ、ボリビア、ペルーなど南米の高地に生息する"ビクーニャ"(ラクダの仲間)の極細の毛を織って作られる超高級生地のことで、今日では幻の超高級繊維「ビキューナ」として珍重される。昭和初期に一着200円と云えば、今日では100万から150万円の超高級品。(*ビクーニャの毛は、動物界で最も細く、100分の1mm。同じビクーニャ属に属するアルパカは、ビクーニャよりやや大型種)
愛用の眼鏡についてもこだわりが見える。丸型の黒い眼鏡が遺品として残されている。殆ど同じ形のものが二つあり、一つは神戸元町の「水野眼鏡店」のケース入り、もう一つは東京のS.Matsushimaの店名が記されたケースとともに残されている。元町には、「西村眼鏡店」(現在の「視正堂眼鏡店」の場所)もあり、永く金子家の人たちも利用していた。
帽子については、「金子直吉伝」に元町二丁目の「浜川帽子店」の名が見られる。
一見服装や身の回りには無頓着のように見られたが、洋服、眼鏡、帽子等々には一級品を長く愛用するという金子のこだわりがあったようだ。