辰巳会・会報「たつみ」シリーズ⑱「第18号」をご紹介します。

2021.3.23.

たつみ第18号表紙.png「たつみ第18号」は、昭和48(1973)年1月1日に発行されました。"辰巳会だより"では、本部10月例会が97名の出席を得て元松方幸次郎の別邸「松楓閣」で開催されたことが報告されています。珍しく長老多賀二夫氏が出席したこと、前年死去した故小川実三郎氏夫人が特別参加したことが記されています。 

◇「サラワックと石油利権の思い出」吉田秀太郎

 サラワクに於いてゴムプランテーションの経営をしていた「日沙商会」は、サラワクでの石油開発に着目し採掘許可の獲得を目指した。サラワクの時の統治者・3世ラジャ・ヴァイナー・ブルック家族が毎年夏季休養のため帰英することから、神戸製鋼所専務の依岡省輔(日沙商会社長兼務)の欧米視察旅行の機会に合わせてロンドンでヴァイナー・依岡会談を設け、石油開発許可を訴えようとした。

 その事前準備のため密命を帯びた筆者は、大正15(1926)年シンガポールからヴァイナー一行が乗船した客船に単身乗り込み、ロンドン到着までヴァイナー一行と親しく接し、無事ロンドンでの数次に亘る会談を設けることに成功した。(「たつみ第17号」をご参照)尚、筆者はこれ以後、石油部門の担当となり、新生・日商にても鉱油部の責任者として活躍した。(詳しくは、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「お家様との初対面」松井タケヨ

 鈴木商店社員・松井元氏夫人の筆者は、新婚間もない大正9(1920)年、夫君の姉で金子直吉秘書を務める椋野武吉夫人に付き添われて須磨の鈴木本家に挨拶に伺い、初めてお家さんに対面した時の思い出を綴っている。お家さんから里(実家)を聞かれた筆者もお家さんと同じ姫路と答え、話が弾んだ。その後、お家さんの横桔梗の家紋入りの着物を頂いたことも懐かしく思い出す。

◇「大正時代の神戸製鋼」竹崎茂助

 明治44(1911)年秋、土佐芸陽高等小学校2年生であった筆者は、担任の先生の勧めで卒業を待たず、その年の12月に14歳で神戸製鋼所へ入社した。同年4月に法人組織になったばかりの神鋼は、資本金140万円、職員約60名、工員約600名の陣容で、"ぼんさん"(給仕)として入社した筆者は、同僚のぼんさん2人と分担して事務所受付から電話交換まで全ての雑用係としてのスタートが始まった。

 その後、筆者は抜擢されて会計係専属となったが、飽き足らず販売係への異動を希望し、18歳の頃ドリルの販売の第一歩を踏み出した。当時は、元海軍少将の黒川氏が社長を務め、依岡省輔、田宮嘉右衛門両氏が取締役として実質の経営を担っていた。

 その間、神鋼は1,500トン水圧プレスを導入し、大正3(1914)年に勃発した第一次世界大戦の造船景気の際には大活躍し、神鋼を起死回生に導いた。然し大戦終結後の反動不況を乗り切る八八艦隊計画が挫折し、神鋼も苦境に陥った。

 大正11(1922)年、依岡専務より自身が社長を兼務する日沙商会への異動の要請を受け、日沙商会に転籍。ファイバー事業に本格的に進出する同社は、三井系の帝国堅紙との合併を進め、筆者は東洋ファイバーの創設に中心的な役割を果たした。(詳しくは、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「たつみ春秋抄 木版奇談~金子三次郎さんのこと」黄旗亭(木畑竜治郎)

 鈴木商店破綻から10年が経ち、鈴木商店の元社員の多くが資金を出し合って、先代岩治郎、お家さん、金子直吉の三人の胸像を作ってお家さん、金子直吉に贈ることになり、著名な彫刻家に製作を依頼し、昭和12(1937)年暮れに三体の胸像が完成した。

 これら胸像を贈って貰った人たちにお礼として記念にお家さんと金子直吉の直筆の短冊を版画に製作して送ることになった。この版画を仕上げたのは"藤浪吟荘"と云う版画の名人「摺り師」で筆者の姻戚の老人であったが、藤浪老人に製作を依頼したのが金子三次郎氏(金子直吉の弟・楠馬の女婿)だったことを知った。

 筆者も金子三次郎氏も鈴木商店では、所謂ボンさんからスタートした境遇ながら、年代も職場も異なりすれ違いであった。然し、藤浪老人と三次郎氏は、昔共に同じ日本画家に画を習う同門の相弟子(兄弟弟子)の間柄であったことが分かった。(詳しくは、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「弔辞」小野三郎 / 「小川実三郎さんを憶う」樽谷勘三郎

 鈴木商店、太陽曹達~太陽鉱工、日輪ゴム、日商にて実績を残された小川実三郎氏が7月15日、永眠された。(享年83歳)鈴木時代の後輩小野三郎、樽谷勘三郎を始め多くの会員から弔辞が寄せられた。

 小野三郎氏の弔辞の中で、有名な金子直吉による手紙「天下三分の計」について触れられており、この長文の手紙の宛名の三人が、高畑誠一、小川実三郎、小林恒四郎なることを記したことが注目される。(詳しくは、関連リンクをご覧ください。)

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