辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉓「たつみ第23号」をご紹介します。
2021.7.9.
たつみ第23号は、「西川支配人頌徳碑建立記念号」として昭和50(1975)年8月1日に発行されました。本年は、辰巳会創立15周年に当たることから、予てより記念事業として名支配人・西川文蔵氏の頌徳碑建立を計画しており、無事除幕式を迎えることができた喜びを伝えています。
お家さん・鈴木の苗字の由来については、熊野発祥の物部氏系穂積氏流の鈴木氏(熊野鈴木氏)がルーツのようだ。穂積とは積まれた稲穂のことで、熊野地方では稲穂を「ススキ・スズキ」と呼んだところから「鈴木」の漢字を当てた。穂積氏と鈴木氏は、異音同義語になると云う。鈴木氏は、佐藤氏に次いで日本で第二の姓に繁栄した。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)
◇「頌徳碑の碑文について」大幡久一 / 「頌徳碑建設始末記」木畑龍治郎
昭和49(1974)年6月2日の辰巳会月例幹事会で建設が決定した「西川文蔵頌徳碑」について、その碑文を執筆揮毫したのは、辰巳会幹事長で頌徳碑建設実行委員長の大幡久一氏。同氏が碑文を揮毫するに至った経緯や西川支配人から常に温かく接して貰った思い出を綴っています。
また大幡委員長と共に頌徳碑建設の中心的な実行委員の木畑龍治郎氏が、同頌徳碑の建設構想の段階から碑文作成、設置場所の祥龍寺との折衝、建設資金調達等々数々のハードルを越え、本年(昭和50(1975)年)5月15日、辰巳会全国大会に170人を超える会員の参加の下、除幕式に至るまでの経緯を報告しています。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
作家・城山三郎が小説「鼠」を執筆する引き金となったのは、筆者の鈴木商店に対する熱い思いからと云われる。昭和39(1964)年10月から昭和41(1966)年3月まで文芸雑誌「文学界」に連載された作品は、好評を博し文芸春秋社より単行本として出版され毎年増改版された結果、本年(昭和50(1975)年)より文庫本として発売されることになったと紹介している。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)
◇「たつみ春秋抄 第六話」黄旗亭
宇治川(東川崎町)時代の鈴木商店に"ボンさん"として入社した筆者(ペンネーム"黄旗亭"、本名"木畑龍治郎")が鈴木時代を懐かしく思い出しながら、様々な人たちとのかけがえのない日々を綴っている。
みかどホテルを改装した宇治川の本店建物は、神戸で一流ホテルとして名の知れた建物だけにその内装も設備も華麗で間取りもゆったりとしており、天井からは豪華なシャンデリアが吊り下がって各部屋には古風な暖炉が造り付けてあったのが印象に残っている。
会計課に配属された筆者は、掃除、お茶くみ、銀行への使い走りが日課で、柳田富士松重役、西川支配人を始め会計課主任の日野誠義氏の下で大塚清次氏、賀集益蔵氏、柳田義一氏等々錚々たる人々との貴重な日々を思い出す。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
◇「辰巳会全国大会」昭和50年5月15日 於六甲祥龍寺および六甲オリエンタルホテル
昭和50(1975)年5月15日、辰巳会創立15周年を記念して170名を超える会員の参加の下開催された全国大会は、併せて故西川文蔵支配人の頌徳碑除幕式が神戸・祥龍寺において執り行われ、引き続いて六甲山オリエンタルホテルに会場を移して行われた。
除幕式には、故人の孫・西川郁子さんの鋏により純白の布が取り払われ、遺族の西川政一、一蔵両氏の献花の後、辰巳会各支部代表者および幹事が続き無事式典が終了した。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)