「日本工具製作(現・日工)の歴史①」を掲載しました。
2020.12.16.
本日から、鈴木商店本店工事部を母体として土農工具の製造から出発し、現在はアスファルト、コンクリートプラントのパイオニア・トップメーカーとしてわが国のインフラ整備の最前線を支えている「日本工具製作」(現・日工)の歴史を9回シリーズで紹介してまいります。
シリーズの初回は、鈴木商店本店工事部の関係者により「日本工具製作株式会社」が設立された経緯についてご紹介します。
第一次世界大戦は大正7(1918)年11月に終結しますが、その後もわが国経済は翌大正8(1919)年頃までは欧州の戦後復興などで需要が伸び、これに投機市場の思惑も絡んで大戦中を上回るほどの活況を呈しました。
この活況を好機と見た鈴木商店本店工事部次長の土屋新兵衛は、同部会計課長・奥田良三と用度課長・矢野松三郎の二人を各地に派遣し、新規事業立ち上げの調査に当たらせました。
その結果、土農工具(ショベル、スコップ、ツルハシ等)の製造が前途有望であるとの確信を得た土屋は新会社の設立について部長の吉本亀三郎に相談し、吉本も全面的な協力を約束しました。大正8(1919)年6月15日、発起人会が開催され、同年8月3日には吉本が議長に就いて創立総会が開催されました。
新会社には社長は置かず、奥田良三が代表取締役専務に就任し、会社名は「日本工具製作株式会社」(資本金50万円)に決定しました。株主の多くは鈴木商店の役員・幹部、鈴木商店の関係会社や取引先が占め、分社化に近い形での船出となりました。
鈴木商店焼打ち事件により神戸市東川崎町1丁目(現・中央区栄町通7丁目)の鈴木商店本店が焼失してちょうど1年後の大正8(1919)年8月13日に新会社の設立登記が完了しましたが、この日が現在の「日工株式会社」の創立記念日とされています。
上の写真は、当時の創立総会議事録です。
※取締役 斎藤藤四郎、桝谷音三、浜口勇吉、奥田良三、監査役 真島福松、松阪根武兵衛、辻泰城、関谷福太郎 の各氏が確認できます。
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