「日本工具製作(現・日工)の歴史⑤」を掲載しました。
2021.3.3.
「日本工具製作」(現・日工)の歴史を紹介する5回目です。
昭和12(1937)年7月7日、日中戦争が始まると軍事費の膨張と原材料の品不足により鋼材は著しく値上がりし、日本工具製作の製品は値上げに次ぐ値上げとなりましたが、それでも同社には軍需産業を中心に注文が殺到し未曾有の販売高を記録しました。
同社は累増する注文に対処するため、急ぎ明石郡外林崎村(現・明石市)喜太夫に工場用地を購入して新工場の建設に着手し昭和12(1937)年12月、第三工場が竣工しました。
昭和12(1937)年11月22日、秋頃から体調を崩し静養に努めていた社長の吉本亀三郎が永眠しました。吉本は相談役、取締役として、さらに70歳を目前にした昭和4(1929)年12月からは社長として同社を率い、陰になり日向になり同社に尽くした功績は数えきれないほどでした。
昭和14(1939)年9月、欧州で第二次世界大戦が勃発しましたが、その同じ年の12月28日、辻泰城、吉本亀三郎の2代にわたる社長の下で実務に辣腕を振るってきた専務の矢野松三郎が第三代社長に就任しました。新専務には天満信二、新常務には吉本敏夫(前社長、吉本亀三郎の長男)が就任し、ここに力強い布陣が誕生しました。
上の写真は、第三工場造成地での右から矢野専務、吉本社長、満野監査役です。
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