「日本工具製作(現・日工)の歴史⑧」を掲載しました。
2021.4.17.
「日本工具製作」(現・日工)の歴史を紹介する8回目です。
わが国は 昭和33(1958)年7月頃から「岩戸景気」と呼ばれた好景気に沸き、文字通り高度経済成長期に突入しました。
さらに、昭和34(1959)年5月には第18回オリンピックの開催地に東京が選ばれたことにより、オリンピック関連の建設投資、高速道路など公共事業が活発化するなど建設機械は一層重要視されるようになりました。
昭和36(1961)年5月、日本工具製作は大型建設機械を製造する新工場の建設が必要となったため増資を実施し、明石市大久保町江井島の約10万㎡の土地を新たに購入し昭和37(1962)年6月、新工場(江井島工場)の第1期工事が完了しました。
昭和40(1965)年11月から昭和45(1970)年7月にかけては「いざなぎ景気」と呼ばれた神武景気や岩戸景気を超える好景気が続き、そんな最中の昭和41(1966)年4月には江井島工場の第3期工事が完了し、同工場の全容が整いました。(上の写真は、昭和45年3月頃の江井島工場です)
昭和43(1968)年2月1日、創立50周年を翌年に控えた同社は社名を日本工具製作株式会社から「日工株式会社」へ変更しました。当時の同社の事業内容は従来のショベル、ツルハシ等の工具類の製造から建設機械、さらにはパイプサポート、組立足場などの仮設機材、ベルトコンベヤ等の製造へと着々と体質改善が進行しており、これら新分野の製品が生産量の70%を超えるまでになっていました。
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