「日本工具製作(現・日工)の歴史⑨」を掲載しました。

2021.4.26.

「日本工具製作」(現・日工)の歴史を紹介する9回目、今回がシリーズの最終回になります。

kannsaikuukou3.PNG昭和48(1973)年2月20日、前年8月以来入院・治療を続けていた矢野松三郎会長が、全社あげての祈りも空しく帰らぬ人となりました。

矢野松三郎は27歳の時、急死した奥田良三の後を受けて日本工具製作の代表取締役専務に就任し、昭和14(1939)年12月28日に第3代社長に就任すると、以後32年2カ月(専務時代から数えるとおよそ52年)にわたり会社を牽引し続け、昭和47(1972)年1月以降は日工の会長として同社発展のために力を尽しました。(左の写真は、関西国際空港の舗装工事において稼働中の4台のアスファルトプラント(NAP-3000)です)

昭和45(1970)年に開催された大阪万国博覧会をピークに高度経済成長期が終焉を迎えると、同社は第1次オイルショック、第2次オイルショック、バブル経済崩壊など幾多の不況の荒波の中で、度重なる危機的状況を乗り越えながら企業体質の強化に努め、時代のニーズに応える有力製品を次々に開発していきました。

令和元(2019)年8月13日、同社は創立100周年の大きな節目を迎えました。現在の日工株式会社はアスファルト、コンクリートプラントのパイオニア・トップメーカーとしてわが国のインフラ整備の最前線を支えています。空港や高速道路などを舗装するアスファルトプラントは国内シェア70%を超え、空港や高速道路用に限ればシェアは90%に達し、コンクリートプラントも国内トップシェアを誇ります。

nikkourogo2.PNG        同社のシンボルマーク・ロゴマーク・ロゴタイプ(左)と創立100周年記念ロゴ(右)

創立以来数々の試練や困難を乗り越えて発展を遂げてきた同社はすでに次の100年を見据え、さらなる飛躍を目指して挑戦を続けています。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

企業特集>鈴木商店と関係の深い会社>日本工具製作>日本工具製作(現・日工)の歴史⑨

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