「大日本塩業(現・日塩)の歩み①」を掲載しました。
2021.8.30.
本日から、神戸に設立された「日本食塩コークス株式会社」を起源とし、現在は長年にわたって培ってこられた塩事業の歴史と伝統を基盤としつつ、塩部門、物流部門、貿易部門の柱を中心に "内外商流を創造する" 総合物流企業として躍進を続けている日塩株式会社の歴史を「大日本塩業(現・日塩)の歩み」として10回シリーズで紹介してまいります。
シリーズの初回は、日本食塩コークスの設立から同社が発展の緒についた頃の様子を中心にご紹介します。
日露戦争が勃発する前年の明治36(1903)年9月8日、神戸の素封家・室谷家を中心にして、塩の製造販売を主体とし、コークスの製造販売を副次的な業務とする日本食塩コークス(後・大日本塩業、現・日塩)が神戸市に設立されました。
諸条件に恵まれていた同社は、コークス製造の余熱を利用して塩を再製する「余熱式再製塩法」の特許を取得し、本社所在地の兵庫運河沿いに再製塩工場を建設して台湾塩(後には関東州塩)を原料として再製塩の製造を開始し、明治40(1907)年には現在の東京都江東区東砂に当時としては東洋一の製塩工場であった東京分工場を建設して製塩を開始しました。(冒頭の写真は、東京分工場の煎熬上屋です)
明治38(1905)年6月1日に塩専売制度が実施されたことに伴い明治39(1906)年6月、関東州塩については日本食塩コークスが「輸入取扱人」に、台湾塩については愛知県知多郡半田町(現・半田市)の豪商・(二代目)小栗富治郎が「移入取扱人」に指定されるとともに、両者ともに輸移入塩の国内販売の「特別元売捌人」に指定されました。
詳細については次の関連ページをご覧下さい。
企業特集>塩業>大日本塩業(現・日塩)の歩み①