「大日本塩業(現・日塩)の歩み⑦」を掲載しました。

2022.1.10.

「大日本塩業」(現・日塩)の歴史を紹介する7回目です。

dairensiten.PNG大日本塩業は、敗戦により明治末期から多額の投資を行い営々と築いてきた関東州を中心にした外地の塩田事業と在外資産のすべてを一朝にして失うことになり、その在外資産は当時の金額で約1億円に上りました。

一方、同社は戦災をまぬがれた東京、横浜、名古屋、神戸の塩倉庫で塩の保管を主体とした倉庫業、運送業を軸にした営業を再開しました。

終戦後の数年はGHQの企業への厳しい姿勢により、同社にとって大試練の時期となりました。同社は会社経理応急措置法に基づき特別経理会社に指定されるとともに、企業再建整備法に基づき確実な資産・負債による新勘定を中心とした第2会社(日塩株式会社)を設立することになりました。

昭和23(1948)年2月12日、再建整備計画を日本銀行に提出した同社は、翌昭和24(1949)年2月15日に再建整備計画の認可を受けました。これにより、同月18日に会社(大日本塩業株式会社)の解散が認可され、同社は同年3月31日に解散登記を行い、ここに社名を日本食塩コークスから大日本塩業に改称して40年余りの同社の歴史に幕が下ろされました。

これと同時に第2会社「日塩株式会社」の設立登記を行い、日塩は大日本塩業の業務をそのまま継承して新たなスタートを切ります。

冒頭の写真は、関東州の拠点であった大日本塩業大連支店です。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

企業特集>塩業>大日本塩業(現・日塩)の歩み⑦

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