「鈴木商店社員にまつわる話シリーズ③」を掲載しました。
2014.8.18.
会津若松市在住の田中様より、お父上で鈴木商店社員だった田中信吾氏が保管されていた貴重な資料のご提供をいただきました。田中信吾氏は、旧制会津中学から鈴木商店東京支店に入社され、麦粉部門で活躍された方です。
製粉事業に本格的に参入せんと明治42(1909)年に買収した札幌製粉の経営がなかなか軌道に乗らず、現業部門の業績改善には当該部門関係者としてご苦労されたようです。
田中信吾氏は、鈴木商店の中核を成した土佐派、高商派、商館番頭派のいずれでもないいわゆる「前垂れ派」とよばれた社員に属し、中途入社ながら麦粉部門で大きな業績をあげ、鈴木商店製粉事業の発展の一翼を担っていました。大正13(1924)年9月25日付の神戸又新日報が折しも政府が示した小麦および小麦粉関税引き上げに対し、東京小麦粉貿易商組合幹事で鈴木商店東京支店麦粉部長の田中信吾氏が業界としての反対声明をしたことを報じています。
しかし田中信吾氏は、32歳の若さにもかかわらず健康上の事情から退職を余儀なくされ、大正15(1926)年10月7日付で退職しました。鈴木合名会社・鈴木よね代表社員名義で交付された退職金支給辞令を生前の田中氏は長く大切に保管され、鈴木商店に籍を置いたことを何よりも誇りにされていたそうです。極めて貴重なお家さん直筆の辞令を田中様のご厚意で当記念館にてご覧いただけることになりました。