「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史④」を掲載しました。
2022.8.30.
太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する4回目です。
昭和19(1944)年2月27日、太陽曹達(後・太陽産業)において鈴木商店再興の夢を追い続けていた金子直吉が77年の人生の幕を閉じ、旅立ちました。金子は古希を過ぎても持ち前の事業意欲は尽きることがありませんでしたが、昭和18(1943)年夏に東京で風邪をひき、神戸・御影の自宅に戻って養生しましたが、体調を崩して病床についたまま遂に回復することはありませんでした。
昭和20(1945)年8月、第二次世界大戦が終結し、戦時中には常軌を超えて生産の増強を要請されたモリブデンの需要は一挙に皆無となり昭和21(1946)年2月、大川目鉱業は整理され、大東鉱山と赤穂製鉄工場は再び太陽産業に移管されました。
一方で、GHQ(連合国総司令部)の方針によって財閥解体、経済民主化の措置が進められました。昭和21(1946)年には持ち株会社整理委員会が発足し財閥解体・持ち株会社解散が実行され、太陽産業も直営会社・関係会社を中心とする保有株式のすべてを処分し、解散することとなりました。昭和24(1949)年3月14日、鈴木岩蔵が議長となり、「再建整備計画」に基づく第二会社「太陽鉱工株式会社」の創立総会が開催され、次の通り役員が選任されました。
取締役会長 鈴木岩蔵、取締役社長 高畑誠一、常務取締役 橋本隆正、監査役 柳田義一、金子文蔵
太陽鉱工は同年3月31日に設立登記がなされ、この日が同社の創立記念日とされています。
「太陽鉱工」の社名は、太陽産業から「太陽」の2字を受け継ぎ、今後の事業の柱となる「鉱業」と「工業」の頭文字を組み合わせるという高畑社長の発案によるものです。
冒頭の写真は、太陽鉱工の初代会長 鈴木岩蔵です。
詳細については、次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史④