「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑥」を掲載しました。

2022.10.5.

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する6回目です。

sendaikoujyou2.png日本経済は昭和30(1955)年頃から高度成長期に入り、鉄鋼、石油精製、石油化学といった巨大産業の設備投資において、随所で耐熱性、耐蝕性を高める効果が大きいモリブデンやバナジウムが不可欠の鉄鋼添加材として急速な需要の高まりを見せるようになりました。

昭和30(1955)年までは年間40トン前後にすぎなかった太陽鉱工仙台工場のフェロモリブデンの生産は、昭和31年度には一挙に195トンに跳ね上がり、前年度比5倍という大きな伸びを示しました。同様にフェロバナジウムも昭和30年度の9トンから31年度の28トンへと3倍の伸びを示しました。

一方で、太陽鉱工設立と同時に、前身の太陽産業が保有していた直営会社・関係会社を中心とする株式は一旦すべて処分されましたが、同社は昭和20年代末から30年代にかけて再びこれらの株式を精力的に買い戻していきました。

その中でも特筆すべきは太陽曹達(後・太陽産業)によって開発され、昭和16(1941)年3月17日に発足した石炭採掘と鉄道経営を主業とする羽幌砿鉄道株式会社でした。

羽幌炭砿鉄道は昭和15(1940)年2月に築別炭砿、昭和22(1947)8月に上羽幌坑、昭和23(1948)年8月に羽幌本坑を開坑すると昭和36年度には出炭量が100万トン越えを達成し、「中小炭鉱の雄」と称される優良炭鉱に成長していきました。昭和31年度以降は石炭産業の好況により待望の配当を実現し、親会社である太陽鉱工に多額の配当収入をもたらしました。

冒頭の写真は、当時の仙台工場です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑥

関連リンク

TOP