「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑧」を掲載しました。
2022.11.11.
太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する8回目です。
わが国では昭和30年代後半より、霞が関ビルや若戸大橋に代表される高張力鋼(ハイテン鋼)を多量に使用した高層ビルや橋梁の建設が活発化し、少量の添加により引張り強度や靭性(粘り強さ)を高められるモリブデンやバナジウムの需要が急速に増大していきました。
そのような中、太陽鉱工が昭和34(1959)年10月に発売したモリブデン・ブリケットは大きな反響を呼び、業界に大きな地歩を占めることになりましたが、同社はさらに競争力の高い独自製品の開発に着手しました。その結果、誕生したのが新製品モリブデン・クリンカー(右下の写真)でした。
モリブデン・クリンカーは、同社の赤穂工場独自の設計により昭和33(1958)年10月に完成した脱硫回転炉(二次焙焼炉)において、脱硫工程中に三酸化モリブデンが焼結する性質に着眼した画期的な製品で、3mm以上の焼結体であるため飛散ロスもなく、速やかに溶融され歩留も良好でした。
何よりのメリットは、ブリケットに比べ配合成型工程(粘着剤を加えて円筒型またはタドン状に成型する過程)を必要としないためコストを抑えることができたことでした。
昭和37(1962)年、モリブデン・クリンカーの販売を本格的に開始すると、すぐにモリブデン・ブリケットと需要を二分するほどの受注が舞い込み、以後鉄鋼添加用酸化モリブデンの主流が缶入りの酸化モリブデン(モリブデン缶)に移行する昭和50(1975)年までは、同社を支える主力製品となりました。
冒頭の写真は、赤穂工場の脱硫回転炉(二次焙焼炉)です。
詳細については、次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑧