「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑨」を掲載しました。
2023.7.28.
太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する9回目です。
太陽鉱工において昭和40年代の10年間に最も目覚ましく伸長した製品は昭和37(1962)年に発売したモリブデン・クリンカーで、生産量は昭和40(1965)年の364トンから昭和43(1968)年には1,000トン台となり、さらに最大の生産実績をあげた昭和48(1973)年には2,675トンを記録しました。
この間、赤穂工場はフル操業でもなお需要をまかないきれず、相次いで設備増強を強力に進めていきました。
同社の仙台工場は昭和35(1960)年にフェロモリブデン、フェロバナジウムなどの主力製品の生産を赤穂工場に移管した後、フェロチタン、フェロチタンボロン、フェロボロンなどの生産に従事してきましたが、これらは採算ベースに乗り難い小需要の品目であったため生産を赤穂工場に移管し、昭和43(1968)年11月30日に閉鎖され30年余の歴史に幕を下ろしました。
昭和40(1965)年6月3日、含バナジウム重油灰(重油燃焼滓)を原料にバナジウムを抽出し、五酸化バナジウムを生産する工場として伊予工場(愛媛県伊予市灘町)が竣工しました。
工場敷地は子会社の伊予窯業に隣接した8,170㎡を伊予市より買収したもので、工場はロータリーキルン(回転式の高温焼成装置)、溶融炉などの設備のほか、公害防止面から廃液浄化装置と集塵装置にも重点が置かれました。
冒頭の写真は、当時の赤穂工場です。
詳細については、次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑨