「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑩」を掲載しました。
2023.8.6.
太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する10回目です。
昭和45(1970)年、太陽鉱工は創業以来の功労者であり、かつて金子直吉の自宅に書生として寄宿して勉学に励み、金子への深い感謝の気持ちを片時も忘れたことのなかった橋本隆正専務を失うという悲運に見舞われます。
橋本は同年9月30日、9カ月にわたる闘病の末に遂に帰らぬ人となりました。
時あたかも、同社が使用済触媒からモリブデン、バナジウムを抽出するという再資源化事業がスタートしようとしている最中のことでした。
石油精製工場で脱硫(硫黄分・硫黄化合物を除去する)工程に使用する触媒はモリブデン、コバルト、ニッケルなどを原料とし、その使用済触媒には重油中のバナジウムが多量に吸着しており、同社でも昭和40(1965)年より伊予工場において重油燃焼滓からバナジウムを抽出する事業を行っていたところであり、この使用済触媒からモリブデン、バナジウムを回収する技術開発を進めていました。
昭和46(1971)年10月には同社と同様の事業プランを進めていた大豊化学と協議の結果昭和47(1972)年10月2日、両社の合弁により泰和株式会社が設立され、わが国で初めて使用済触媒からモリブデン、バナジウムの再資源化を目指す事業がスタートしました。橋本専務が亡くなった翌年のことでした。
なお、昭和45(1970)年11月9日、臨時株主総会において社長の高畑誠一が会長に、専務の鈴木治雄(昭和44年10月11日、常務から専務に昇任)が取締役社長に就任しました。
冒頭の写真は、橋本隆正専務の太陽鉱工・東邦金属合同社葬です。
詳細については、次の関連ページをご覧下さい。
鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑩