「太陽曹達(後・太産業、現・太陽鉱工)の歴史⑪」を掲載しました。

2023.9.10.

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する11回目です。

akasikoujyou.PNG昭和50(1975)年4月1日、モリブデン鉱石について関税割当輸入制度(TQ制)が廃止され、輸入自由化時代を迎えました。

これにより、需要家が海外の鉱山や商社から直接輸入できるようになりました。しかも、オイルショックによる不況後、コスト管理が厳しくなった需要家の間では鉄鋼用モリブデンの使用形態が大きく転換し、主流は従来のモリブデン・クリンカーおよびモリブデン・ブリケットから操作が容易で飛散ロスがなく、安価な缶入りの酸化モリブデン(モリブデン缶)へと急速に移行しました。

そして、このことにより当時モリブデン・クリンカーを主力製品としていた同社は大きな試練を迎えました。

折しも、日本経済はオイルショック以来長期かつ深刻な不況に突入しており、同社も昭和50(1975)年2月、売上高の極端な落ち込み等を契機に、ついに鈴木治雄社長名をもって「直ちに抜本的な経営合理化対策を検討すること」が命じられました。

これを受け、同社はモリブデン鉱石の在庫調整を進めるとともに、徹底した経費削減、役員・管理職の給与カット、主力工場のレイオフなどを実施していきましたが、主力商品であったモリブデン・クリンカーの落ち込みによる打撃は決定的でした。

同社は、ついに人員整理を実施せざるを得なくなり、鈴木社長が陣頭に立ち労働組合側との懸命な団体交渉の結果、赤穂工場において54名(24%)の人員整理に踏み切りました。

冒頭の写真は、昭和55年頃の赤穂工場です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑪

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