「太陽曹達後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑫」を掲載しました。

2023.9.19.

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する12回目です。

saisigennkakoujyou.PNG昭和48(1973)年の第一次オイルショックによって、世界経済は改めて資源の有限性という問題に直面することになりました。

最盛期には島根県を中心に10数もの鉱山で採掘されていたモリブデン鉱石は、昭和50(1975)年には2鉱山を残すのみとなり、太陽鉱工も98~99%を輸入に依存しなければならない状況となりました。

また、バナジウムについても大半を南アフリカ共和国を中心とした輸入に頼っていました。

このような状況下で、同社は 「資源の再利用をはかる道を開拓することは資源小国日本の社会的要請に応えるものであり、希少資源に関わる企業に課せられた使命である」と受け止め、昭和48年代後半から本格的にこの再資源化事業に取り組みました。

そんな最中の昭和53(1978)年9月19日、同社の創立者である高畑誠一会長が帰らぬ人となりました。(享年91歳)高畑会長は、太陽鉱工の前身である太陽曹達の創立以来60年にわたる文字通り育ての親であるばかりでなく、総合商社・日商の創立を始め、わが国の経済界、産業界に多大な功績を残しました。

昭和53(1978)年11月22日、10年におよぶ努力がようやく実を結び、赤穂工場内に待望の再資源化工場が完成し、国内の製油所から生じる使用済の直接脱硫用触媒が赤穂工場に集められ、有用な資源に生まれ変わるという再資源化事業が本格的にスタートしました。高畑会長の死去から2ヶ月後のことでした。

冒頭の写真は、赤穂工場内の再資源化工場の全景です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑫

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