「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑬」を掲載しました。
2023.11.3.
太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する13回目です。
昭和60(1985)年9月22日に「プラザ合意」が成立すると、急激な円高により日本製品の国際競争力は急激に低下しました。鉄鋼業の不振によりモリブデン、バナジウムの需要も多大な影響を受けて急減し、太陽鉱工の業績は一気に落ち込みました。
同社は人員整理を含む合理化、生産効率の向上、原価低減、棚卸資産の圧縮等あらゆる対策を講じてこの事態に立ち向かうとともに、こうした状況下において第3の金属、すなわち希土類(レアアース)に着目し、各種事前調査を経た上で本格的に新規事業へ進出する方針を公表しました。
一方で平成16(2004)年10月、同社は不安定な経営が続いていた窯業用無機顔料、ジルコニウム等を主要製品とする子会社・新日本金属化学を吸収合併し、また、重油燃焼滓を原料にしたバナジウム抽出工場として操業を開始した伊予工場(愛媛県伊予市)を設備の老朽化、環境問題等の観点から平成18(2006)年6月に閉鎖し、赤穂工場への生産集約を行いました。
平成20(2008)年10月には、赤穂工場内に専用工場(660㎡)を新設の上、ドイツのALDバキューム・テクノロジーから購入したバナジウム精錬用電子ビーム溶解炉(EB炉)を設置し、金属バナジウムの一貫生産を完成させました。
冒頭の写真は、赤穂工場内の金属バナジウム製造設備(電子ビーム溶解炉)です。
詳細については、次の関連ページをご覧下さい。
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