鈴木商店の生産事業を支えた技術者シリーズ⑤「久村清太と人造絹糸の製造(その1)」をご紹介します。

2023.6.21.

kumuraseita.PNG久村(くむら)(せい)(は明治13(1880)年、山形県酒田の今町(現・酒田市日吉町)に出生。久村は東京帝国大学工科大学応用化学科在学中に東京の太陽レザー製造所という町工場で働いていましたが、ここでレザー(模造皮革)の(つや)を消す方法を生み出し、「艶消しレザー」に関する特許を取得しました。

この特許に、金子直吉と当時日本最大のレザー会社であった(あずま)レザー(鈴木商店系列)の常務取締役・松島誠の目が止まり明治40(1907)年、鈴木商店(資金を出資)、太陽レザー(工場を現物出資)が出資し、また久村も艶消しレザーの特許を出資して東京レザーが設立されました。

翌明治41(1908)年、東京レザーは鈴木商店系列の東レザー(大正4年に(あずま)工業に改称)に吸収合併され、久村は同社の技師長となり大阪に赴任しますが、このことが久村と金子との出会いに繋がりました。そして、久村はレザーに使用する塗料の原価引下げのため、ビスコース(木材パルプを主原料とする再生繊維)の研究を始めました。研究の結果、久村の結論は「ビスコースの利用法としては人絹を製造するよりほかには適当な道がない」というものでした。なお、日本で最初に工業的にビスコースの研究を行ったのは久村清太といわれています。

toukyoureza-nokennkyuusitu.PNG大学の応用化学科の同窓には後に同志となる秦逸(はたいつ)(ぞう)がいましたが、久村は教室にほとんど出てこなかったので二人は顔見知り程度の関係だったようです。結局、久村は研究に没頭し大学を中途退学することになりました。(右の写真は東レザーの久村の研究室です)

一方、大学卒業後、神戸税関で働いていた秦逸三は化学の道を諦めきれず、金子に就職先を相談したところ、人絹(人造絹糸、レーヨン)の研究を勧められました。秦は久村とも話し合って人絹製造の研究を始めることを決意し明治45(1912)年、米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)応用化学科の講師(後に教授)として米沢に赴任します。

秦は夏冬の休みの度に大阪の久村の自宅や東レザーの研究室を訪ね、久村は秦にビスコース法について指導しました。久村からすれば米沢高等工業学校の機械・動力は魅力的であり、秦にビスコースを糸に引く試験を依頼しました。

天才肌で奔放な久村と、実直で学究肌の秦との好組合せを直感的に見抜いていた金子は、その後終始二人を支援し続けました。まだ人絹事業の将来性が全く不透明であった当時、金子の決断は決して軽いものではなかったでしょう。

研究費不足に困窮した秦は久村とともに金子に援助を訴え、鈴木商店から金銭的な支援を受けることになりましたが、秦の米沢での研究は疲労と二硫化ガスの中毒から数度倒れるなど、困難を極めました。(下の写真左は旧米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)、右は度重なる困難の末に米沢工場で生産された人造絹糸です)

jinnzoukennsi1.png一方で、金子の人絹生産に対する熱意が地元に伝わると、米沢の有志の間に人絹製造工場を誘致する機運が高まり、金子は工場を米沢に設けることを懇望されました。

これを受け、「御蚕包(おかいこぐる)み」(絹物ばかりを身に着けている贅沢な生活をいう)の夢を人絹によって実現させようと考え、また、紡績業は綿花を原料とした加工業でマージンは薄いが、人絹生産のマージンは高いことに魅力を感じていた金子は米沢での人絹製造の事業化を決意します。

teikokujinnzoukennsiyonezawakoujyou.png人絹製造の事業化は「東レザー分工場米沢人造絹糸製造所」として大正4(1915)年にスタートを切りました。(東レザーは直後に、(あずま)工業に改称します)

秦は久村に応援を頼み、金子も久村に米沢行きを勧めると、久村はようやく重い腰を上げました。そして、秦は人絹事業に専念するため米沢高等工業学校の教授を辞任し、嘱託契約に変更しました。こうして秦、久村の米沢における二人三脚が始まりました。(左の写真は米沢工場です)

しかし、久村が米沢に赴任しても人絹の品質は中々改善せず、金子は「なめくじの()ったあとのあの光沢を研究してみたらどうか。なめくじをビスコースに入れてみろ」と奇想天外を誇る久村を唖然とさせるなど、素人ながら久村、秦と一緒に悩みを共にしました。

金子は人絹製造が苦戦する中、秦を欧米に出張させることにしました。当初金子は久村に欧米出張を打診しましたが、久村は秦が米沢高等工業学校の教授を辞めてまで人絹の研究に力を注いでいる姿を見て、秦を出張させるよう何度も金子に勧め、金子も「君たちは兄弟だな。それでは秦を呼べ」と承諾するのでした。

鈴木商店の生産事業を支えた技術者シリーズ⑤「久村清太と人造絹糸の製造(その2)」をご紹介します。

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