鈴木商店こぼれ話シリーズ㊼「鈴木よねと住友吉左衛門の樟脳新聞広告」をご紹介します。
2023.8.15.
台湾の樟脳専売制度の実現に協力し、明治33(1900)年台湾樟脳油の販売権を獲得した鈴木商店は、神戸旭通りに直営再製樟脳製造所を設け本格的に樟脳事業に乗り出した。
一方、これより早く明治21(1888)年、住友家第15代当主・住友吉左衛門友純(ともいと)の時代に神戸葺合雲井通に樟脳精製工場を設立、明治25(1892)年には英、独、仏に代理店を設け精製樟脳の輸出を開始している。樟脳事業は、順調に推移したが製品の歩留まりが上がらず、さらに基幹事業(別子銅山)に深刻な事態が生じ、その立て直しに奔走している。
こうした状況の中、大阪毎日新聞に業種別の広告が掲載され、樟脳の部には、いよいよ飛躍の第一歩を踏み出す鈴木商店と樟脳事業の維持に苦心する住友樟脳、鈴木の台湾進出のパートナーで再製樟脳業者・小松楠彌が揃って名を連ねている。
明治36(1903)年、住友吉左衛門は基幹事業に注力するため樟脳事業を鈴木商店に売却、以後樟脳事業から完全に撤退した。
鈴木商店は、これにより再製樟脳から精製樟脳まで業容を拡大、大正期に入ると樟脳業界の一大統合を主導して「日本樟脳」の誕生を実現した。
なお、同新聞広告は、明治33年、鈴木商店が樟脳事業に本格的に乗り出したことから住友の樟脳事業撤退間際だった明治34,5年頃と推測される。