鈴木商店こぼれ話シリーズ㊾「鈴木商店絶頂期に手形不渡りの誤報」をご紹介します。
2023.10.16.
鈴木商店は、大正6(1917)年の売上高15億4,000万円を記録し、三井物産の10億9,500万円を大きく凌いで文字通り日本一の大商社に躍り出た。さらに大正7(1918)年の絶頂期の売上は16億円を超え、国内外の陣容においても三井に引けをとらない質・量ともに「総合商社の源流」と呼ぶに相応しい態勢が整った。
こうした折、鈴木商店の巨額の手形が不渡りとなったという衝撃的な情報が流れた。直ちにこの情報は、誤報として否定されたが反響は大きく真偽を求める問い合わせが殺到したという。
この誤報の発信源は、帝国興信所(現・帝国データバンク)であったことが明らかになった。帝国データバンクが運営する"帝国データバンク史料館"が発行する機関誌「MUSE」第42号(2023年3月発行)には、"資料にみる企業の歴史「帝国興信所が報じた鈴木商店の倒産」"と題する特集が掲載された。
同特集記事には、大正8(1919)年3月16日の帝国興信所内報(日報)紙上に"鈴木商店が8千万円の不渡り手形を出したこと、これが明らかになれば十数銀行の破綻は免れないと掲載されたが、同日には誤報だったとして全文が取り消されたと記されている。
鈴木商店は、この誤報事件から8年後の昭和2(1927)年、経営破綻するが、帝国興信所は誤報による重大な過ちから事実確認を怠らない報道姿勢の原点に戻る教訓を得たと云う。