鈴木商店こぼれ話シリーズ㊻「関東大震災から100年、その時鈴木商店は・・・」をご紹介します。
2023.9.1.
本年(2023年)は、関東大震災から100年の節目となります。東京、神奈川を中心に発生した巨大地震は、大津波を伴い未曽有の災害をもたらしました。
大正12(1923)年9月1日、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大地震が発生。東京、横浜は壊滅状態に陥りました。
直ちに軍隊、警察、社会福祉団体等による救援・救護活動が開始されましたが、鈴木商店も独自の救援活動を実行したことが記録されています。
大正12(1923)年9月3日付「人事通知」には、「関東地方大震災罹災者救援」と題する社内通知には同日現在の罹災状況のほか実施する救援活動について説明しています。このうち、首都圏の罹災者および避難民救援のため、鈴木所有の貨物船3隻(崋山丸、山城丸、備後丸)により救援品を被災地に差し向けることを決定しています。(写真は、崋山丸)
また、9月4日神戸出航で横浜港に差し向ける"崋山丸"(5,000トン)については、被災者の関係者で被災地に駆けつける希望者が居れば200名に限り便乗させることを指示しています。
なお、大震災発生直後より"朝鮮人が井戸に毒を入れた"とか"朝鮮人が襲って来る"などと流言飛語が飛び交い、各地で朝鮮人襲撃や虐殺が頻発しました。崋山丸については、横浜での救援品積み下ろし時に横浜鶴見警察署管内で地元自警団等の群衆による朝鮮人襲撃の不穏な動きが起こり、警察および軍隊の要請をうけ、朝鮮人、中国人およそ300名を同船に保護・収容する事態が発生しました。
鶴見警察署長・大川常吉の身を挺した対応により騒ぎは治まり、朝鮮人200余名は、その後横浜での復興事業を担うこととなり、中国人は、関西方面へ避難することで解決を見たと記されています。
なお、鈴木商店は、この救援船派遣に加え、東京・永代橋の架橋工事に協力したほか、東京月島の貯木場に有していた材木を東京市に寄付、お家さん・鈴木よねも多額の義捐金を寄付しています。(写真は、崩れ落ちた永代橋)
関東大震災の救援船は、鈴木商店のほか大阪より大阪商船がチャーターした「扇海丸」(貨物船1,200総トン)が救援第一船として、大林組がチャーターした「第二米丸」が横浜および東京に送られたが、いずれも鈴木商店が播磨造船所にて建造した貨物船です。