鈴木商店こぼれ話シリーズ㉘「 第一次世界大戦中、連合軍の塹壕の土嚢には鈴木商店の商標SZKのマークが入った麻袋が大量に使われた」をご紹介します。

2018.5.1.

300px-Trencheswwi2塹壕.jpg大正3(1914)年に勃発した第一次世界大戦は、ドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリアの"中央同盟国"とイギリス、フランス、ロシアを始めとする"連合国"(後に日本、イタリア、アメリカ合衆国が参戦)との戦いであり、西部戦線ではベルギー南部からフランス北東部にかけて戦線が繰り広げられた。

西部戦線では塹壕を掘りながら戦いを進める「塹壕戦」が主流となった。従来の野戦から、敵の塹壕を制圧する事を目指す塹壕戦へと変わって行った。両軍とも敵に背後に回りこまれないよう両翼に向けて塹壕を掘り進めて行くうちに、スイス国境からイギリス海峡まで塹壕が到達した程であった。

この戦いで塹壕掘りに従事していたのは中国人をはじめエジプトやインド、マルタ、モーリシャス、セーシェル、英国領西インドなど多国籍の人々で、その数は30万人にものぼった。これらの助っ人たちは、塹壕堀り以外にも弾薬庫作りや港での荷下ろし、防空壕作りや土嚢の砂詰め作業など後方支援の貴重な戦力となっていたと云われる。

鈴木商店ロンドン支店では、大戦が始まると連合国軍需品公売局に食い込み、大英帝国や連合国を相手に鉄材の買い付け、船舶・食料品の売り込みに縦横な活躍をする。

食料品の注文が殺到すると支店長・高畑誠一は、北海道の豆類、澱粉、雑穀類を満載した船もろとも売り渡すという「一船売り」の離れ業を敢行した。また、鈴木商店が英政府に売り込んだ小麦、小麦粉は膨大な量(神戸本店を介した分だけで小麦粉500万袋、満州小麦50万トン)に達し、大戦中欧州の戦場では鈴木の商標(SZK・イン・ダイヤモンド)のついた大量の麻袋が、連合軍の塹壕の土嚢に利用されていたといわれた。(桂芳男著「総合商社の源流 鈴木商店」)

従来、穀物等の輸送には木箱や綿布製袋が使用されたが、19世紀半ばに安価でかつ強靭性、耐久性を備えたジュート袋(麻袋)が、それらに代替されていったことから鈴木の輸出した小麦、小麦粉にも梱包用麻袋が使われ、土嚢袋に転用されたものと思われる。

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