鈴木商店こぼれ話シリーズ㉞「西川文蔵の出身校・滋賀県商業学校の校舎は、メンソレータムを普及させたW・メレル・ヴォーリズの設計」をご紹介します。

2018.9.2.

八幡商業高等学校.jpg明治23(1890)年、近江商人の発祥の地にある滋賀県商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)を卒業した西川文蔵は、東京高等商業学校(現・一橋大学)に進学するも中途退学の後、明治27(1894)年に鈴木商店に入店。店主・岩治郎に実力を認められ「学卒第一号」として遇され、やがて名支配人として金子直吉を支えた。

戦後、八幡商業高等学校を取材した評論家の大宅壮一は、優秀な実業家を多く輩出する同校を「近江商人の士官学校」と評した。

米国出身で明治から昭和の日本で建築家・実業家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、来日当初の明治38(1905)年、滋賀県立商業学校(八幡商業の前身)で英語教師を務めていた。この頃、西川文蔵は既に鈴木商店に入社し、その実力を発揮して金子直吉を補佐する要職にあった。ヴォーリズは2年後、同校を離れキリスト教伝道とその主義に基づくさまざまな事業展開を行った。

建築設計事業も伝道活動を支えるためにスタートした。後年、八幡商業では同校の校舎を改築する際にヴォーリズに設計を依頼したが、ヴォーリズの基本設計による校舎は現在も使われている。

ヴォーリズは、一柳満喜子(大同生命第二代社長・広岡(旧姓・一柳)恵三の妹)と結婚後、数多くの建築を手がけ、学校、教会、病院、商業建築は全国に1,000件を超える。明治学院大学礼拝堂、神戸女学院大学、関西学院大学、山の上ホテル(東京・駿河台)、大同生命本社・支社ビル等々枚挙に暇がない。(*広岡恵三は、広岡浅子の長女・亀子の夫、婿養子)

さらにヴォーリズは、宣教活動の為に確固とした経済的基盤を築くためヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)を創立、メンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。


関連資料

関連リンク

TOP